MFT#024 『裏山の奇人 野にたゆたう博物学』 小松貴

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生物系の学徒の一定数が携わるであろう学問形式、フィールドワーク。僕もフィールドワークに興味があったものの大学にそれに該当するような(なおかつ昆虫系の)研究室が無かったので実験系の学生をやっていたが、憧れ自体は持ち続けていて、それは在学中によくやっていた学内の生物観察(母校は土地の半分ほどが山なのだ)や、社会人になってから始めたダンゴムシガロアムシ掘りなどの形で発露していた。

 

さて、学部4年の際に僕の研究を見てくださっていた同研究室の大先輩が、虫好きの僕に対して二人の奇人を紹介してくれた(もちろん直接というわけではなく、ブログを教えてくれた)。一人がひたすらに昆虫を採集、味見し続け昆虫食の可能性の拡大に努め、今はラオスへ飛び現地で持続可能な昆虫食による人々の生活の基盤作りを続ける蟲喰ロトワ先生(現在は帰国中)。そしてもう一人が本著の著者である小松貴先生。好蟻性生物写真家という異色の職を持ち、なおかつその知の対象は好蟻性生物に留まらず、日本全国飛び回り絶滅の危機に瀕する虫、あるいは長年発見されていない幻の虫を探し出し写真に収め続ける、そのひたむきさは奇人と敬意を持って称したい、そんな人物である。

 

特に小松先生の人間離れした虫たちへの執念と、莫大な経験と勘に基づき人目に触れたことのない生き物たちの姿を美しい写真で世に送り出していく姿は、幼い頃一度は夢見たはずの「虫博士」の理想系そのもので、その憧れを追うようにして、僕はフィールドに出るようになった。また、彼はとても面白い文章を書く文筆家でもあり、彼が今までカメラに収めた生き物たちとの邂逅を綴った文章は何冊もの本になり出版されている。その中でも本著は、彼の生い立ちから今に至るまでの道筋を常に傍にあった虫たちとの濃密な交わり合いを持って描き出した名著だと言える(冒頭から2歳にしてありの巣の中に潜むアリ以外の虫、アリヅカコオロギの存在に気づき日々その観察をしていたという驚くべきエピソードがさらりと語られ一気に引き込まれる)。

 

彼の生き物との接し方は壮絶さすら感じるもので、とある生き物のとある行動を目撃するために冬の山に何日も籠ったり、生き物を前にして、然るべき時を待ち微動だにせず何時間もカメラを構えたり、そしてそれらの生き物の行動を引き出すためであれば、何の抵抗もなくなんでも出来る、それぐらいの鬼気迫るものがある。

それ故に彼の撮影する虫たちはどれも自然体で、その写真も美しく、真に価値のあるものになるのだ(嘘だと思われるかもしれないが、虫1匹とっても人やカメラの気配を感じると動きが固くなる。それは警戒心をあらわにしているからであり、そういった状態は写真で見てもなんとなく察することができる。しかし小松先生の写真の向こう側の生き物たちにはそのような緊張感を感じない。これは"その時"を待ち何時間だって耐えることが出来るこの人だから撮れる写真だ)。

彼の仕事を追う中で、僕はこれまで知る由もなかったたくさんの生き物の世界を知ることができた。憧れはしたけど容易に到達できないその領域に立ち、なおかつ我々素人にこのような素晴らしいものを見せてくれる小松先生は、実に得難い人間である。

 

以下ブログより先生の美しい写真を見ることが出来る。

Ⅲ月紀・四六