植物ブログを作った

最近、自分の育てている植物コレクションをまとめるブログを作りました。

tomo-at-plants.com

良かったら読んでみてください。

最近、植物趣味が再燃してきて、いろんな方のインスタをフォローして眺めていたりするのですが、そんな中の一人が、とてもマニアックでいいブログを書かれていて、それを見て自分もやりたくなったというのがきっかけです。

note.com

この方のブログです。 写真のきれいさもさることながら(恐ろしいことにチランジアをやっている人はみんなこれくらいきれいな写真を当たり前に撮っている)、イオナンタという一つの種の中の品種のバリエーションに着目したコレクションとそのそれぞれの株に対する薀蓄が大変読みごたえがあり、一人の趣味家としてここまで情報を管理していることに感銘を受けたというのがあります。

あともう一つ、植物関係の趣味の方と知り合っても、自分は植物趣味に限ったSNSアカウントを持っていないので渡せる名刺がなかったというのも理由です。

さて、そんなぼくのブログ、Tomo at plants. ですが、おそらくちょっと変わった作り方をしていると思うので、備忘も兼ねて裏側の話をまとめておこうと思いました。

裏Cosense、表ドットコム

まずなのですが、こちらのURLを開いてみてください。

scrapbox.io

これは、Cosense(旧Scrapbox)というWebサービスで、ぼくのブログの原型です。 というか中身は同じです。 はじめはCosenseを使ってブログ活動を始めたんですよね。

Cosenseというサービスのとてもいいところは、とにかく書き手フレンドリーなところで、非常にシンプルかつ直感的な記法で、メモを書くような気持ちで記事を書くことができます。 WYSIWYGなんて目じゃないくらい書きやすい、なぜなら表に出るそのままのUI上に書き込めるからです。

こんな感じで、見たままに書き込めて即公開される

そういうわけで、フレンドリーゆえに更新しやすく、なおかつタグとリンク機能が独特で、これを使って階層を深めずに横のつながりを広げて「整理されすぎない」情報整理をしていく、みたいな不思議なコンセプトも持っていて、そういったところが気に入って使っていたわけです。

とはいえ、やはり記事が増えてくると、慣れていない人にとっては読みづらい画面になっちゃうんですよね。 なので、やっぱり人が見やすいガワが必要だなと思ったんです。

そんなわけで、一時期はCosenseにCSS書きまくって見やすいサイトにする、という魔改造軸を検討していたのですが、なかなかうまくいかず。 ChatGPTくんと壁打ちしていたらなかなか気になる案を出してきました。それが、GPTくん曰く、「CosenseをヘッドレスCMS的に使って、独自ドメインで公開用のWebサイトを別途持つ」という案です。

これでぼくがやったことが伝わった人は同業の人だと思うので、ここから先は読まなくてもいいかもしれません。

つまりどういうことかというと、「Cosenseの全ページのデータを出力して、そのデータをもとに別デザインのWebサイトを構築し、それを独自ドメインで公開して外向けのブログにする」ということです。

GenAI時代のWeb構築

というわけで、正直自分のスキルセットだとなんとなく言いたいことはわかったが、何から手をつけていいか分からない、という感じのアイデアが出てきました。 そんな時に頼るべきは何か?GenAIですよね。つまりClaude Codeです。

Claude Codeと整理しながらおおよそ決めたシステム全体の構成はこんな感じ。

超略概念図

つまり、CosenseのAPIを叩いてページ情報を出力し、それをAstroでHTML作成、Cloudflareにデプロイして独自ドメインで公開って感じ。 ここまで来たらあとはClaude Codeくんに任せればどんどこサイトができていく、というわけです。いやはや技術革新。

そもそもなんでそんな簡単にサイトにできるか?ということなんですが、そこでCosenseというサービスの思想が活きてるな、と思います。 Cosenseは記法がかなり限られていて、強調、箇条書き、画像、アイコン、くらいしか一般的な用途では使いません。 そうするとどうなるかというと、出来上がるページがとてもシンプルになります。

なので、そのシンプルさを踏まえて、事前に作成するページの型を決めておくと、かなり明確にマークアップ構造がテンプレ化できます。 こんな感じで。

あるページの例

で、これをいろいろClaudeと会話しながらデザインを整理していくとこうなると。

きれいめデザイン

というような感じで、自分は一切コードを書かず、自然言語の指示だけでサイトが完成するところまで出来てしまう、というわけです。いわゆるVibe Codingですよね、とても破壊力がある技術だなと思います。

ちょっとだけこだわったところ

可能な限りAIに仕事させる

実は今回サイトを作った裏目的の一つとして、「これからの自分の働き方を考える」というものがありました。ぼくは新卒入社以降一貫してWebディレクターをやっているのですが、こういったGenAIによるコード生成ってまさにビジネスパートナーでもあり競合でもあるなかなかシビアな立ち位置です。

としたときに、僕個人としてはGenAIと組んでもっと仕事楽しんでいきたいなと思っていて、そういった意味でもきちんとClaude Codeのポテンシャルを確認したいという気持ちから、なるべくAIに作業させて、そのアウトプットをレビューする、というプロセスでやりました。 例えば、「自分はこういうサイト構造にしたい」と指示するんじゃなくて、「APIで取得した情報からサイト構造を提案して」みたいな感じです。

Cosenseって、いわゆるサイトマップみたいな階層構造がかなり作りにくい平たいサイトなので、各ページ同士の情報からサイト構造作れるのかしら、と思ったのですが、きちんとページ情報を読み込んで一発で以下のようなサイトマップを提案してきてなかなか痺れました。

画像を自動で出力させる

初回のサイトビルド時は、画像が全く表示されませんでした。

これはなぜかというと、Cosense上の画像URLをそのまま表示に流用していたからでした。Cosense上に保存した画像URLは外部サイト上での画像表示に制限がかかっていた感じです。

ここについては、諸々整理した結果として、API叩きに行くタイミングで、サイト全体のjsonデータから画像URLを抽出することで画像一覧を取得し、前回の取得一覧と比較、差分だけ新規画像としてローカルにダウンロード、ローカル上でwebpに変換した後、CloudflareのR2上にアップロードしてサイトで表示させる、という一連の作業を自動化しています。サイトのデプロイ時に画像更新も同時に走るようにしています。

なるべく運用を見据えた設計にする

個人サイトなら正直、Claudeが場当たり的に生成したコードで動かしててもいいとは思うんですが(Claude結構賢いから破滅的にはならないし)、一応仕事に還元することも考えて、人間的な運用に耐えうるサイト構造になるようにレビューしてからアウトプットするように指示を入れてあります。 これをやらないと、ページのテンプレファイルごとに同じCSSやHTML構造を直書きしたりするので。

可読性の高いHTMLにする

実は、植物ブログをまじめにやろうと思った理由がもう一つあって、それは来たるAIO、LLMO時代に備えて、引用されやすいサイトを作りたかったというものでした。 AIO、LLMOというのは一昔前で言うところのSEOの現代版としてよく言われている言葉ですが、つまるところ今主流の検索手法への対策として検索されやすいサイト構造にしようというものです。

今のところ、AIは情報媒体の信頼性をベース(Redditはなぜか信頼性が高いと思われているのでめっちゃ引用される)としつつ、提供される情報そのものの価値と、可読性が高くて構造化された情報に対して一定の信頼性を置いて情報を収集する、という風に言われています。 これを最初知った時、なんか救いだなって思ったんですよね。SEOって、Googleとかに見つかりやすくしよう、という活動で、これはもうかなり煮詰まっていて、雑にやってるサイトだと、検索でヒットしてほしい言葉をすべてサイトのメタ情報に仕込む、みたいな半ばハック的手法を取り入れたりしてて、もはや誠実とは言い難い現状です。

これに対して、一応AIはもうちょっと賢いから、情報そのものの信頼性がちゃんと基準に入っている、そして、それを高めるための素材も、「読みやすい情報設計」と非常にリーズナブル。このまだハックされていない仕組みの純粋さにぼくは可能性を感じていて、読みやすいHTMLを心掛けていれば、個人サイトの価値もソレそのものの情報の質で上がっていくようなピュアな未来に期待をしています。

なので、そういった時代に期待する意味も込めて、(後、そもそもWebで情報発信をする側としてのエチケットとして)読みやすい構造にはなるべく気を使っているつもりです。

あと、最近見かけたqiitaの記事で割とがっつり「HTMLだけじゃちゃんとAIが読まない」みたいなことを言ってて。 でもこれそもそもテストサイトのマークアップの質があまりよくなさそうで、それをスルーして力技で解決するような記事になってるのがちょっと本質的じゃない気がしてしょげたのもあり、目先のことするより実直にやらなきゃだめだなと襟元を正したからというのもあります。

ただ、ぼくのサイトも画像のALTとかアクセシビリティ的な対応が不完全なので、この辺りは追い追いアップデートしていきたいと思っています。

次は

こんな感じで、Claudeに頑張ってもらいながら作ったサイトが公開されています。本当はこのサイト制作で、Agentの人格を分けたオーケストレーション的なコード生成も試そうとしたのですが、サイト自体がシンプルでそこまで高度化した作業を挟み込む意味が薄かったので、やめました。次はそれを試せるような何かを考えてみたいです。

おまけ

APIの出力結果をもとにサイト作って、って指示してClaude Codeが一発目に出してきたサイトがこれでした。サイトの骨格はこのころからほぼ変わっていないのには驚きです。正直ガワのデザインには興味がなかったというのもありますが、結局骨格がちゃんと解釈されていればデザインはいくらでも上乗せ可能なわけで、それをきっちりやってるところを見て、もはやAIだからダメとか言ってる場合じゃないな、と再認識しました。

映画『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』考

遅ればせながら、今日『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を見てきました。KADOKAWA主催日本ホラー映画大賞第2回の大賞作として、受賞から2年の時を以て公開された作品です。非常に強く感銘を受け、ここに感想を書こうと思いました。特に配慮せず内容について言及しますのでまだ見ていない方は劇場へ急いでください!

パンフレットめっちゃかっこいい

目次

この文章を書いてる人

映像制作チーム、in-factoのメンバーとして短編ホラーの制作をしています、トモヒロツジというものです。制作においては、主に脚本や美術制作、色彩設計などをすることが多いです。 in-facto.jp

in-factoの主な作歴
・短編ホラー「椅子」// BRUTUS 2024年8月号「もっと怖いもの見たさ。」などで紹介
・短編ホラー「逆廊」// 第3回 日本ホラー映画大賞にて「ギークピクチュアズ賞」受賞

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を見て

とにかく、これほどまでに行き届いたJホラー作品が劇場公開され、多くの人の目に留まっていることについて、制作サイド、見た人そのすべてに素直に畏敬の念を感じます。

僕自身『リング』、『呪怨』に代表されるような古き良きJホラー作品に少年期に触れ、それらの影響を強く受けています。そういった僕みたいな出自の人間はきっと万感の思いでこの作品を見たのではないかと思います。とても静謐で重く、丁寧な作品でした。

「畏れ」と「穢れ」

少々自我が出た物言いにはなってしまいますが、この作品において自分が最も強く感じたのは「共感」でした。僕は東海地方の割と田舎の生まれで、今作の舞台として出てくるような山、あるいはそのすそ野の町、村の風景の中で育ってきています。今作で描かれるそれらの風景へ向けられる視線は当時の自分の体験とシンクロするようで非常にリアルなものでした。

今作において、山という場所は畏れの場所であると同時に穢れの場所としても描かれていると自分は感じています。これは山村の生活にある程度理解のある人から生まれてくるものなのではないかと自分は思うのです。田舎暮らしの人間にとって、山という場所は思っている以上に身近な存在です。ある程度山すそに暮らしていた人なら「○○家の山」という概念になじみがあるのではないでしょうか。田舎の人間にとって、山は所有するものなのです。

そして、所有することによって、彼らは山そのものを”管理する”という考えが日常に息づいており、田畑に出るように持ち山に入り、作業を行います。

創作において自然を描く際、それらは畏敬の念を以て描かれることが多いように思います。これは「畏れ」だと僕は思っています。ただ、山に近い暮らしをしている人間にとってはその場所が同時に「穢れ」も持っている場所である、ということに対してある程度自覚的です。なので、「畏れ」のみを以て描かれる山、像には僕自身物足りなさを感じることが多かったわけです。

田舎の人間は思っているよりも山にごみを捨てます。これは大切にしていないということではなくて、食や金銭的恩恵(主には林業)を与えてくれる山を所有し管理するという面においての「畏れ」を持ちつつ、同時に自分の土地としての、より生活に近い感覚も持っており、いわば自分の土地なので好きにするような気持ちで飲み終わった缶、ビンを捨てたり、使わなくなった農機具を置いておいたりするわけです。これはごみ箱に捨てたのではなく、「見える場所に放棄した」というような感覚です。なので、山ってある程度日常・非日常が入り混じった場所で、親しむものであり、畏れるものであり、忌むものであるみたいな感じだと思うんですよね。

もうちょっと今作に寄せた話で考えてみます。

「穢れ」とは何か。それは「畏れ」よりももっと実体的な、グロテスクな感覚なのではないかと僕は思います。それは作中においては、骨壺の不法投棄をはじめとして語られるような、具体的な「棄て」の場所である、という感覚です。姥捨てなどはわかりやすい例かと思いますが、そもそも山という場所は悪いもの、手に負えなくなったものを「視えなくする」ための場所であると考えられるように思います。

でも山って、海みたいに絶対に目につかないようなところはないし、棄てるには拓けているのでは?と感じるかもしれません。ここの感覚は非常に抽象的なものなのですが、だからこそ、人は山に棄てるのだと僕は思っていて、それは棄てたいけど忘れてはいけないものが向かう場所なのではないかと。捨てるのではなく放棄する=いったん生活から遠ざけて「視えなくする」、という感覚。

ストーリーの中盤、摩白山で民宿を営む一家の息子、雪斗は幼少期に祖母から語られた摩白山の曰くについて話します。「カミサマ」を捨てに行く場所である、というのです。ここで言うカミサマとは神棚に収まっているような神道的考え方のものではなく、もっと広い八百万なものであると自分は思います。「カミサマ」をまず筆頭とし、続けて「仏様」と話す辺りそんなニュアンスを感じます。僕の幼少期、机に乗るときは必ずカミサマに一言断ってから乗るように、と教えられました。また、敷居を踏むとカミサマが怒る、とも言われましたし、お米を残すとカミサマが怒るとも言われました。そんなような、生活に根付いた「畏れ」の対象が「カミサマ」であり、それが手に負えなくなったときに山に棄てに行く、という話かなと。

ここだけであれば、「畏れ」の行きつく先としての山ですが、同時に祖母は「生理になった時、それが怖くて下着を棄てに行った」と言います。生理はそれ自体めでたいことである一方でその象徴となる経血などは「穢れ」として扱われるものです。つまり、この文脈において、摩白山は「畏れ」と「穢れ」=「手に負えないもの」の棄て先であり、またそれらは広く見て同一視されていた、ということなのかなと思います。結果として祖母はそれ以降生理が来ていないといいます。これは字面のまま受け取るのであれば、雪斗の言うように、では、自分はどう生まれたのか?という説明できない恐怖につながりますが、前述のように「視えなくなった」という解釈もできるかなと思います。

これは山に向かう人間側の感情ですが、山側としてはこのサイクルの蓄積として「手に負えないものを棄てに来る」というルールが生まれたのだと考えます。すなわちこれは、摩白山自体が「手に負えなくなったもの」を棄てに行く場所であった、ということです。自分は場所であった、というより場所になったのだと考えますがこれは後述。

敬太の幼少期、敬太の山歩きに「疎ましく感じてしまった」日向がついてきてしまいます。これは、この世界観において、「手に負えなくなったものを棄てに来た」と認知されたので日向はルール通り山に棄てられた、というのが事の発端ではないでしょうか。それでも時折人の目に映るのも、「捨てる」ではなく「棄てる」=「視えなくする」であったからゆえかなと。

「視える」と「視えない・視ない」

今作でもう一点非常に興味深かったものがあります。それは視線の描き方です。僕が好きな問答で、「誰もいない山の中で木が倒れたとき、その音はするのか?」というのがあります。ニュアンスそんな感じだったはず。これはつまるところ、観測者によって、初めて事物は存在が証明される、ということなのだと僕は理解しているのですが、今作はそれを徹底的に視線で表しているのが印象的でした。司が美琴に向ける視線、あるいは塾に通う女の子が美琴に向ける視線など、視線があることによって、そこに何かがある=いるという説明をしている箇所がたくさんあって、これはとても奥ゆかしくてよい表現だと思いました、ちゃんと怖くてすごいし。

また、視線についてもう一つ挙げるべきなのが、ビデオカメラの視線です。物語の最終盤、司が山に取り込まれたのち、山から来訪者に向けられる視線はビデオカメラの質感を伴ったものになりました。僕の記憶では、それ以前の主体が不明瞭な視線にはそのような演出はなかったと記憶していて、これは正体不明の何者か=いわゆる怪異からの視線がビデオカメラのレンズという媒体と同一化した、ということなのではないかと僕は思っています。これはある種メタ的な構成でもあるとは思いますが、そもそもの映像におけるカメラの視線についての考えがうかがえるような演出でとても良かったです。

一方、「視えない・視ない」こともこの作品においての重要なキーです。司が敬太の家を再び訪れ、敬太の母の自殺体を見つけます。これに対して司は「敬太はもう山に取り込まれているから、この死体が見えなかった、盲目にさせられて、山に向かわされている」と電話で美琴に伝えます。ここ、僕は司の解釈が誤っていると思っていて、敬太は母の死体を見ていたのではないか、と考えています。そのうえで、「視えなかった」のではないかと。

京極夏彦のベストセラー、京極堂シリーズの初作「姑獲鳥の夏」でまさにこのシーンがあります。物語の終盤、京極堂たちは、事件の核となった家のとある場所に踏み込みます。そこに踏み込んだ瞬間、京極堂は事件の本質を理解しますが、一方でそこに足を運んだことがあるはずの関口にはそれがわかりません。そこには、死体があり、これが京極堂には見えていた一方で関口には見えていなかった(見えていたけど、視えていなかったというべきか)、つまり、認知の外にあるものを人は認識できなかった、というトリックです。これは叙述トリック的ですし、ここだけ見ると荒唐無稽かもしれませんが、今作における敬太もこの状態だったと自分は考えています。

作中において、敬太の両親への帰属意識の希薄さをのぞかせるシーンが度々あります。敬太にとって家族(両親)とはもはや認知の外に位置付けられている、という説明かと。つまり敬太は母親の死を理解しており、でももはやそれは彼にとっての本質ではなかったので、わざわざそれを司に告げなかった/そもそも認知できなかったのではないかと自分は思います。

これは、主人公敬太が、弟日向の影を追って廃墟に再びたどり着いたときにも言えるかと思います。司が敬太に追いつき、敬太の視線の先の「日向」に向かって、「あれは日向ではない、なぜなら日向はずっと敬太のそばにいたからだ」と伝えるシーンがありますが、ここでも敬太に強い驚きはなかったように思います。それは敬太自身が日向の死を理解していたが、それでもあの場所に向かっていた、という示唆なのだと。これは敬太自身の罪の意識を「視ない」ようにするための生存戦略であり、だからこそ、それを直視しなければいけない、日向の死体を目の当たりにしたとき、初めて敬太は声を上げたのではないかと思うわけです。

結末である、誰が取り込まれ、取り込まれなかったか、というところも、結局はこの視える・視えない・視ないにおいて決まったのではないかなと自分は思います。視える司は取り込まれ、視えるようになってしまった(核心を理解したうえで山に近づいた)雪斗も取り込まれ、視ないことを貫いた敬太のみが残る、という整理ができるように思います。つまるところ、視えたということはチャネルが合うということなのかなと。

この視線についての深い洞察が今作では人間感情の表現として技巧的に用いられており、これは本当に気迫を感じました。

山の霊と街の霊

この作品において、美琴は外伝的な立ち位置です。司、敬太の二人組に対して、二人が集められない部分の情報提供を行いつつ、第三者的立場からそのサイクルに入り込み、物語の深みを出すことにいちやく買っています。前述の視える視えない議論だと、美琴は視える側ですが、美琴は取り込まれていません。これには二つの考え方があるように感じます。

ひとつは、視えているけどチャネルがあっていないこと。作中を通して、美琴が悩まされている霊の実態について、美琴自身が思考するような描写はなく、一方的に被害を被る存在として描かれていました。それゆえ、彼女はまだ取り込まれなかったのだ、という考えです。

もう一つが、そもそも、敬太と司が対峙した山の霊(怪異)と美琴が対峙した街の霊(幽霊)の性質が違うというものです。これは映像表現にも表れているように感じます。まず大きな違いは、敬太、司が出会う敬太の母、日向という二つの怪異は、正確な像が結ばれません。敬太の顔がくっきり映る距離でも敬太の母はぼやけたままだし、怪異としての日向にも一度もピントが合いません。一方で、廃墟内で美琴の手を引いた幽霊はしっかりと像を結ぶように鮮明に映っています(手だけですけど)。

また、美琴の幽霊は直接害をなしている(だから防犯ブザーを持ち歩いている)のに対し、敬太、司の対峙する怪異は直接的な悪影響をもたらさないし、むしろ「かきがあります」*1と言っているように、おいでおいでしている存在にも思います。このことから、この2種は性質が異なっているために、これまで話した山のロジックが美琴には適応されていない、という考えです。

僕は思いつく範囲では後者派なのですが、皆さんはどう思いますか?

自然選択的進化をした山

最後に一つだけ(特に)好みで語る話をします。僕は摩白山という、「手に負えなくなったものを棄てる山」は具体的な怪異ではなく、”そうなった”場所だと考えています。好きなものからの引用ばかりで恐縮ですが、高校生の頃読み漁っていた2chの洒落怖まとめの中で、特に好きなものがありました。「師匠シリーズ」と呼ばれているものです。この中で、何もない場所に毎日献花し続けたらそこは怪異になるのか?という考察をする回があります。まさにこういうことがやりたかったのではと僕は考えています。

敬太のビデオに収まっている廃墟は近代的な建物である、以外の情報が希薄で、作中でも「なにかの施設の廃墟」というようなぼかし方をされていて明言されません。仮に、形に意味があるのであれば、「病院」だったり「新興宗教」だったり、それっぽいワードが出てくるように思います。それをあえて避けているのがまずポイントかなと。次に、民宿の息子雪斗から聞ける祖母の話の中で「鳥居や祠が捨ててある場所」みたいな言い回しが出てきます。これは敬太たちがたどりついた廃墟と”同質”のものだと考えます。ここも、こんな画にして怖そうなものがあればもっと村民の中で言い伝えられているように思うのですが、摩白山についての新聞記事などからわかる情報にこのような具体的なものについて触れるものはありません。つまり、僕が思うのは、摩白山に訪れた人がたどりつく「棄てる」場所はたどりつく人によって決まるのだということです。

登山部の学生たちの音源が残ったカセットテープについても、ある程度施設内のディティールの言及があったものの、それだけで敬太が訪れたものと同一とは断定できないです。この2点に共通することと言えば、「2階が怖い」ことでしょうか?

ちょっと一瞬脱線するんですが、「2階が怖い」って結構ホラーの原体験感ありませんか?僕はそうで、小さいころ母方の祖母の家に行ったときは2階には上がるな、と言われていました。急な階段を上った先にちょっとだけ見える廊下が当時の僕にはとても怖かった記憶があります。自分の実家は平屋なので、2階って概念に親しみなかったんですよね。ここに、母親からの「一時期誰もいないのに階段を上り下りする音が聞こえてたことがあった」みたいな怪談も相まって、2階は幼心に怖いものと位置づけられていたことを思い出します。ここも妙にシンクロしちゃったんだよなー。

と、そんなわけで、訪れるものによって「棄てる」場所が変わる、そしてそんな、いわばパワースポットがある、というのが摩白山の実情かなーと思いをはせています。これはつまり、山の神様とかが人をたくさん取り殺すためにこういった場所を作ったのではなく、ここを「棄てる」場所にした人間の脈々たる営みの中で、摩白山が”そうなった”ということなのでは!と。

僕は、神の意図のもと物語が作られているよりも、それが合理性があったから結果そうなっているみたいな考え方が好きです。なので、ここは自分の好みを以て、摩白山の怪異は「自然選択的進化」の結果である、と一論打ちたいと思います。

終わりに

僕実はあまり考察考察したコンテンツは好きじゃなくて、受け取り方を他人の考察で決めるのってなんかもったいないやん、と考えているのでまさか自分がこういった文章を書くことになるとは思いませんでした。それほどまでに感銘を受けたし、語りたい作品である、ということでここはひとつ。

物語は正解がないことが美しいと思っているので、こんな考えのやつもおるんやなと、近藤監督に妙に共鳴してしまった人間の雑記をお納めいただければと思います。

単純に好きポイント語ると、砂防提出てくるのいいなーとか、輪廻のオマージュうれしいとか、画がずっと暗くて最高とか、ここぞという場所での「叫び」の使い方沁みるとか、人間同士の距離の取り方がすごい今っぽくてよいとか、いろいろあるんですが、キリがないので。

長文読んでくれてありがとうございました、ジャパニーズホラーのニュースタンダード見れてうれしかったです!

*1:近畿地方のある場所について」より

トルコとジョージアを一人旅(ジョージア編)

さて、イスタンブール国際空港にたどり着いたのは明け方4時。次の目的地は隣国ジョージアの首都、トビリシトビリシジョージアの主要都市の中でも歴史的な建物が多く、また国の中央部に位置していて、空港からのアクセスも良い。そういった意味で非常に観光客が多く開かれた町でもある。

僕が今回の旅行の2つ目の目的地をジョージアに設定したのは、歴史的な建物を巡る観光がしたかったという点と、何よりもゆっくりした旅行がしたいというところが大きかった。ジョージアキリスト教国としての歴史が古く、侵略にさらされることなく、敬虔な信仰を受け続けた決して絢爛ではないものの重みのあるフレスコ画、黄土色に鈍く輝くような石造りの美しい教会建築などが実に魅力的。 一方で喧騒から離れ、コーカサス地方の山岳地帯に向かえば、緑緑とした丘が目線のその先まで続く高山の丘陵地帯も目にすることができ、ごみごみとしたインターネット社会(あるいは東京)で枯れてきた色彩を取り戻すにはうってつけの場所である。

今でこそ東京が好きで東京にとどまっているが、元々は山と川に育てられた人間でもあるので、やはり定期的に自然の中で深呼吸したくなる。リフレッシュという言い方はあまり口には馴染まないが、環境を変えて一度埃かぶった頭の中をひっくり返したりすることは必要だとも思う。

そんなわけで観光の中心であるイスタンブールから離れ、ジョージアに向かうことにしたというわけ。 イスタンブール国際空港で1500円くらいする水をうっかり買い目を白黒させながらも飛行機に乗り、おおよそ2時間程度のフライト。たどりついたのは朝方のトビリシ郊外、トビリシ国際空港。 ジョージアを語るうえでもう一つ外せないのが、旧ソ連側の国であるということで、トビリシ空港の一部など郊外の建物には当時を思わせる社会主義っぽい建築が点在していて、こういうのを見に行く旅もまた面白そうだなと思ったりする。Molchat Domaベラルーシのポストパンクバンド)のジャケットみたいな建物、という伝わりづらいたとえ。

イスタンブールと同じく、eSIMでの旅であり、これまたイスタンブールと同じく電話番号のない旅なので、継続してタクシーアプリなどは登録ができず使えない。よって公共交通機関とコミュニケーション重視の旅が続く形です。

空港はそれほど大きくなくてエントランスも閑散とした感じではあるものの、観光客に向けたタクシーの呼び込みは少量ある。とはいえこの手のものは観光客価格なので、バスの到着を待つ。 トビリシイスタンブール同様、プリペイドタイプのカードを使って公共機関を乗り継ぐ。ただ、気を付けたいのが、都度チャージするタイプと一定額を払えば一日乗り放題のタイプの2種類のカードがある点。バックパッカー寄りの徒歩移動が多い旅行者には都度チャージタイプのほうが経済的なのだけど、カウンターで流れるままに購入したら定額タイプのものをもらってしまった。

ジョージアのやや煩雑なところとして、この手の銀行などでの買い物を取り消したりする場合、都度紙の書類での手続きが必要なことで、これをやると優に追加で数十分取られてしまう(現に自分の前に並んでいた旅行客が払い戻し手続きを一生やっていて列が進まなかった)ので、まぁいいやと思い乗り放題カードを使うことにした。

イスタンブールと違って道がそれほど混んでいないのとそこそこ正しい時間にバスがガンガン来るので、トビリシの移動はバスがおすすめ。バスに乗り込むとカードをタッチする端末があり、そこにタッチすることで乗車賃を支払う。ちなみにこれはクレジットカードの決済も可能なので、究極カードを持っていなくても乗れる(タッチするかしないかそんなにちゃんと見ていなさそうでキセルしてそうな地元の人とかもいた)のだけど、まぁクレジットカードポンポン出すのも精神衛生上よくないのでカード買っておくのが無難。

数十分揺られると市内に着く。

ちなみに、バス地下鉄ともに料金は1ラリ。55円とか。 1時間乗っても55円なので相当経済的です。

ジョージア公用語ジョージア語。ジョージア語はロシア近隣の国らしくそもそも読めない文字だし、発音もロシア語っぽい感じで何言ってるかは一切わからないのだけど、バス停に留まるたびに繰り返される単語とかを拾っていくと、少しだけ言葉がわかるようになる。海外に行って言葉がちょっとわかる瞬間とかって、何か嬉しかったりするよね。

僕は旧市街に宿を取っていたので、降りる駅はAvlabariステーション。目の前にアルメニア教会が見えるのがわかりやすい。バスから降りて感じることは暮らしている人たちの緩やかな空気感。教会前の公園でおじさん世代の人らがすごろくに興じていたり、ワインを飲んで談笑していたりする。 そもそもベンチで談笑する光景ってもうあまり日本では見ないですよね。東京みたいな隣人との関係が薄い町に住んでいるからなのかもしれないけど、そもそもの人間性の違いな気もする。こういう違いが目に入ってきて旅行に来たことを実感できるのもまた醍醐味だなと思う。

宿のチェックイン時間まではしばらくあるので、まずは少し歩いて山際のナリカラ砦を目指す。道すがら、トビリシを流れる大きな川、クラ川の岸辺にあるメテヒ教会にも立ち寄った。ジョージアの教会はいずれも現役で教徒にとっての信仰の場であるので、教会内の写真はNGなところがほとんど。なので中の写真はないけど、窓が少なく薄暗い中で立ち込める線香の香り。鈍く輝くフレスコやステンドグラス。いくつ教会を訪れても新鮮に襟もとをただされるような気持ちになる。

ナリカラ砦は少し上った丘の上にある。途中で自転車に乗った白人のカップルに声をかけられる。彼らはヨーロッパからきているらしく、日本にも自転車乗りに行ったことがあるとのこと。どこの国に行っても外国人旅行者が日本に来ている割合はそれなりに高い。なおかつ、今回のように少し外した観光をしていると、大体日本人でもあんまりいかないようなところに行っていたりしてそれもまた趣深い。

ナリカラ砦は教会こそは入れたが、展望台に向かう道は工事中で入れなかった。市内からゴンドラが出ていて、そっちに乗れば展望台に行けるらしいが、まぁ結構遠いのでよしとする。砦の入り口に大きい犬がいてよかった。

そのまま砦を後にしようとすると、砦の裏側に歩道が伸びているのが見えた。石造りの教会が多いことからもわかるが、トビリシ近辺は全体的に石灰岩質の土壌が多いように思う。(石灰岩は柔らかく、加工に向いているので建材としても使われる)僕のように生き物が好きな人間にとっては石灰岩という言葉は非常に魅力的だ。

ダンゴムシ、ワラジムシなどの節足動物、あるいはカタツムリなどの軟体動物、そして山野草などの植物。これらは一般的に石灰岩質の土壌に多く、種も多様。実はジョージア裏目的はこれらの生き物をたくさん見ることだったので、僕は喜び勇んで裏道に回り、落ち葉を掻き分け虫を探し始めた。

ここには大したものはいなかったので割愛。

裏道を降りるとBotanical Gardenという看板が見えた。当然のように吸い込まれる。アジア圏の植物園は現地の環境を再現したようなレイアウトが多いが、ヨーロッパではどちらかというと植物を配置した景観をGardenと呼ぶように思う。そんな中で突然日本庭園が現れたり(国際交流の一環として日本から贈られたらしい)して、なかなか面白かったが、とにかく全体が広く、山ひとつ丸々植物園、みたいな広大なものだったので入り口だけ見て早々に退散。

いい時間になったので宿に向かうことにした。

さて、さてである。ずっと違和感を感じていたことがある。なんだか体調が嫌な感じだ。宿について清潔なベッドを手に入れた僕は、まずは腹ごしらえということで、近所のファストフード店でシャウルマを食べたわけだが、どうもずっと違和感がある。 そんなわけで早々に宿に戻り、いったん昼寝することにした。

(ちなみにこのシャウルマがはちゃめちゃにおいしかった。言ってしまえばラップタイプのケバブなのだけど、なんといっても具材の量!長さ20センチ、横幅5-6センチはあろうかというぶっとい筒の中にこれでもかというほどケバブが入っていて、とにかく食べ応え抜群。味付けはシンプルながらもザクロのソースがいいアクセントでパクパク食べられてしまい非常に危険。店によって差があるらしいので、Avlabari近辺を歩くことがあれば、ぜひTiflis Fast Foodに行ってみてほしい。)

シャウルマがとにかくカロリー爆弾だったこともあって、夕方まで寝ていた。起きてみたのだが、なんなら昼より体調がよくない。しかしまだこの時は体調の悪さに確信を持てていなかったので、疲れかなぐらいの気持ちで、少し歩くことにした。 宿から一番近いのは、トビリシで随一の規模を誇る教会、至聖三者大聖堂。ちなみに至聖三者という言い回しは正教会用語における三位一体(トリニティ)を示すものであり、逆説的にわかる通り、ここはジョージア正教会の聖堂である。丘の上に立つ荘厳という言葉がふさわしい大きく凛とした教会で、これはとても美しい場所だった。実は20年ほど前に建てられた新しい建築とのこと。聖堂内のドームの魂を抜かれるような高さには目がくらみそうになった。

教会の中もとても広くて、聖堂を1階と考えると、地下側に3階層ほど掘り下げたフロアがあり、教徒に向けたスクールなど様々な機能が含まれている様子。その一番下には地下聖堂があり、吹き抜けから見下ろすその様は圧巻。威圧感すら感じて少し体調が悪くなった。(調べてもあまり地下の話出てこないからもしかして一般公開されてないところだったのかな、入れてしまったが)

体調の話ばっかりしているが、聖堂を出るころにはしっかり体調も悪くなり、頭痛と体の重さで到底夕食を物色する余裕もなく。近くの食料品店で祈るような気持ちでフルーツジュースと水、コーラを買い、宿に戻りとにかく寝ることにする。旅先で真に信頼すべきは100%のフルーツジュースとコーラのみである。すなわちビタミンとコカ。

さて、結論から言うが、結局この体調不良は下痢として猛威を振るい、帰国まで一切治ることはなかった。あんまり思い当たるものもないので、シンプル疲れな気がする。 何なら帰国後も1週間くらい一切固形物がケツから出なかった。なので、ここからの旅程は基本下痢を抱えたものとなるのだが、それをいちいち挟んでいるとリズム感が良くないので以降あんまり体調の話はしない。基本悪いと思ってもらえれば。

そんなわけでジョージア滞在一日目は観光もほどほどに就寝。2日目が始まる。宿を出て次の目的地へ向かう。ここで伝えておきたいのは、宿泊先であるB&B Old Tbilisiのすばらしさである。旧市街の奥、大聖堂のふもとに位置するこの宿は一見して非常に入り口がわかりづらい。(鉄板の扉でふさがれていて、特に看板などもない) しかし、扉を開けると、魂の休息地とも呼べるような穏やかな景色が広がる。洋風の洒落たホテルと、ぶどう棚とザクロの木が日陰を作り、木漏れ日が気持ちいい庭先。ここでタバコなど付加しながら昼寝をしていた時間が一番充足した時間だったように思う。宿主のDavidも非常に気さくで、客を見かけるとぶどう棚に誘い、ともにソファーに座りながら談笑をする。一泊1万円弱とジョージアにしては高めかもしれないが、ツインルーム一部屋だと思えばかなりお値打ち。

何を言っても宿主Davidのhelpfulさは素晴らしいもので、実は宿を出立後、ワイヤレスイヤホンを忘れてしまったことに気づくのだが、Agoda経由でもしイヤホンを見かけたら取っておいてほしいと伝えると力強い「OK」の返信。帰国前に立ち寄った際にはカウンターの引き出しから笑顔とともにイヤホンを取り出し渡してくれた。

ジョージアのテーマは人に助けられたということかもしれない。

さて、2日目。この日は旅の最終目的であり、一番楽しみにしていたコーカサスの山奥の街、カズベキに向かう。カズベキは山奥の町でロシアとの国境にもほど近い。後述する山頂の美しい教会、ゲルゲティ三位一体教会や、周辺の山々など、トレッキングを楽しむ旅行者が訪れる町だ。 カズベキに向かう方法はいくつかある。もっとも安心感のある方法は、ツアーに参加し、ツアーバスに乗って向かうことだと思う。一方で、ジョージアならではの方法もある。それが、乗り合いのバンに乗って向かうというものだ。ツーリスト・ミニバスという名前で呼ばれていて、バックパッカーの間でよく使われている。 トビリシからカズベキは数時間かかり、その間にいくつか著名な観光地も通る。そういった観光地を経由しつつ(一か所15分程度だが)カズベキを目指すのがこのミニバスの特徴で、特筆すべきは料金の安さだろう。なんと片道1500円程度で行くことができる。

ハードルが高い点としては、客引きしているおっちゃんがたと交渉して車に乗り込まなければいけないこと。とりあえず町の中心部に降り立った僕はカズベキ行きのバスを探す。しばらく歩いたがカズベキに向かう看板を掲げている人が居ない。首をかしげながらほかの目的地に向かうおじさんたちに尋ねると、「カズベキ行きはもっとあっちだ」とのこと。強面のおじさんが多いが、基本みんな親切なので恐れず話しかけるべし。

着いた先でカズベキ行きのバンを見つけた。聞くと、ちょうどあと一人集まったら出発だという。渡りに船ということで飛び乗った。乗客は白人男性が4人とアジア系の女性が一人。それに僕を加えた6人と運転手2人の8人で車にすし詰めになって向かう。すし詰めと言っても車が案外広いので窮屈さはない。乗り込むと、丸眼鏡をかけた、壮健そうな男性に話しかけられた。マルタからきているという彼に日本から来たと告げると、「そこのレディも日本人だよ」と。この旅にして、初めて身内以外の日本人と話した瞬間だった。

京都からきているという彼女は僕より少し年上に見える。聞くところによると海外旅行が好きで、年に一度は必ず行っているらしい。過去行った旅先のフェイバリットはウズベキスタンで、とにかく料理がおいしいとのこと。今回もウズベキスタン再訪を考えていたが、まだ行ったことない国に行こうということで、地図を広げ、ウズベキスタン近郊で未訪のジョージアに来ることを決めたらしい。カズベキ到着後も腹下してる僕を見かねて胃腸薬を譲ってくれたり、夕食を一緒に食べたりなどいろいろお世話になった今回の旅の恩人だ。 とにかく旅が好きで、関空にパスポートと荷物持っていってから、行先を決めて旅を始めたこともあるなどいろいろジャンキーな話が聞けて面白かった。

無事ミニバスに乗れた一行はカズベキへ。途中、アナヌリ要塞という湖畔の観光スポットがあり、そこには最低限寄りたかったのでちゃんと寄ってくれて良かった。ただ、実は建物よりもカタツムリと花に大盛り上がりしていた。海外の何の情報もない国のカタツムリ最高。

次は旧ソ連時代のモニュメントに寄る予定だったのだけど、こっちは雨降ってるとかでスルー。あんまり興味なかったからいいけどざっくばらんだ。

車は山山を抜けいよいよ谷間の町並みが見え始める。いよいよカズベキだ。しかしここで何かが起きてしまうのが旅というもの。車がゆっくりと減速を始めた。何となくガス臭いと思った時にはすでに遅く、あえなくガス欠で車はストップ。カズベキまで1時間を切っていた場所だった。

車から降りろと促される。色々頑張っているようだが完全にガス欠のようだった。とは言えわざわざこんなローカル手段で山奥に向かうような人間が乗り合わせているので全く誰も焦っていない。近くにコンテナハウスがあったので、コーヒーでも飲みにいこうぜとみんなで向かう。イスラエルから来たという2人の若者たちはナッツやチョコを買い、何ならビールなど飲み始めている。マルタから来たおじさんとその連れもコンテナハウスのおばさんたちと談笑に講じている。 僕は当然、めちゃくちゃな腹痛で何を口にするのも恐ろしくただただ耐えてた。シャイなジャパニーズに見えていたかもしれない。

1時間程度待った頃、一台の車が止まる。運転手が乗れとジェシチャーしている。どうやらここまで運転してきた運転手の友人が迎えにきてくれたらしい。幾分か狭い車に乗り換え、僕らはなんとかカズベキにたどり着くことが出来た。夕方ごろだったかな。

カズベキはトレッキング客で賑わう点を除けばかなり静かな町。僕が取った宿は中心地から外れた高台にあって、見晴らしの良さや設備の綺麗さは随一なのだがかなりの勾配の坂を登った先にあり、こればかりは宿のチョイスを間違えたなと思った。宿中心に滞在するなら最高だったんだろうけどね。

一度荷物を置き、限界の体をひきずり中心地へ降りて夕食を取る。ツアーバス同乗の旅の先輩から胃腸薬も受け取り、幾分心強さを得た僕は自家醸造の甘いワインを飲んだり、ようやくありつけたヒンカリを食べたり、束の間のジョージアらしさを味わうことができた。

ジョージア3日目。一人旅の醍醐味は詰め込む時には詰め込めることではないか。この日の旅程は早朝にゲルゲティ三位一体教会まで上り、トビリシまで戻り、その足で空港まで向かい日本へ帰る。やることがたくさんだ。 幸いにして天気は快晴。一般的には最良の天候を求めるため、カズベキに数泊するケースが多いらしく、ワンチャンスをものにできたのは日頃の行いかもしれない。朝7時ごろに宿を出て山へ向かう。カズベキは高山帯で9月でも朝は10度近くまで冷える。持ち込んだありとあらゆる防寒具を身に纏い、歩き始めた。20分ほど歩くと街並みを抜け、山の入り口に差し掛かる。

ここから頂上までは1時間半程度。急峻な岩肌、美しい小川、青々とした丘陵と崩れた見張塔。それらを抜けて教会が見えた時の爽やかな達成感。体調指数20(100が満点)でも言葉に出来ないほど感じ入ってしまう景色。

これはぜひ皆さんも自ら足を運んで感じてもらいたい景色だなと思います。

ちなみに教会の展望台から街を眺めていたら昨日世話になったお姉さんに声をかけられた。たまたま同じ時間に登ってくるなんてと思って話を聞くと、どうやら本日2度目の登頂らしい。一度目は暗いうちに来たものの、真っ暗で何も見えなかったから出直したとのこと。バックパッカーの体力って、すっげーーーーーー、、、。

そんなこんなで最終目的地で清浄な空気を一生分吸った僕は、ローカルバスであるマルシュルートゥカに乗って、日本への帰途に着く。マルシュは地元民の一般的な交通手段で安価な代わりに直行便で途中停車はトイレ以外無く、結構ビュンビュン飛ばす。とは言え、乗り合いのミニバスに比べたらかなり気楽なもので、安心感すら覚えながら僕は天国に一番近い教会、それを要する美しい町を後にした。

イヤホンも回収!ほんまありがとうDavid

帰りの飛行機は羽田着。成田と違ってフライト時間がちょっと短い。何より羽田ってマジで家に近くて(成田空港比)最高!映画の「悪は存在しない」と「リバー流れないでよ」を見て帰った。今更ながら見れる映画のラインナップが網羅的で渋い。悪は存在しない、マジで最高の映画だったな。

久しぶりの海外、しかも東欧辺りは初めてで色々新鮮でいい旅だった。実は今までの旅は生き物や食が主眼だったりして、これだけ古い建築にフィーチャーした旅はしたことがなかったので、とにかく満足度が高かった。なかなか数十万の金を用意して遠出するなんて機会はなく、僕みたいにお金があるだけ趣味のものを買ってしまう人間とお金を貯めなきゃいけない旅行は縁遠い行いではあるのだけど、この感覚を忘れずにまた色々出向きたい気持ちがあります。次はアルメニアか、ウズベキスタンか。いややっぱりスノードニア歩きたいしイギリスか。でもそろそろもう一回東南アジアも行きたいんだよなー。

来年も良き年でありますように、読んでくれてありがとう。良いお年を!

おまけの写真

トルコとジョージアを一人旅(トルコ編:後編)

鯖サンド食べてかなりバイブスが上がったので船に乗る。向かう先はユスキュダル。

イスタンブールとは海を挟んだ対岸に位置していて、一般的には「アジア側」と形容されることが多い。 グーグルマップでざっと観光地を眺めてた時に、どっかの白人が、白人向けにイスタンブールの喧騒にうんざりしたならアジア側に来るのがおすすめだぜ、こっちに来ると本当のトルコがわかるぜみたなことを書き込んでいたのだが、何目線の何様なんだろうと思った。 まぁこの書き込み見てユスキュダルきたので僕もあんまり。

たった10分程度の船でそんなに雰囲気変わるのかなと思ってたけど、結構雰囲気が違う。

イスタンブールはもう観光地すぎてホテルと店しかないような有様だけど、ユスキュダルにはオールドスタイルなアパートや家などがたくさん並んでる。もちろん観光エリアもあるけど、そこから居住エリアがシームレスに接続されていて、街歩きが好きな人間には心地よい。

あと市街地全体がありえんほど急斜面になってて、雪でも降ろうものならかなりスリリングになるだろう雰囲気。

クソエモい木造の家とかあったんだけどスマホでは撮ってないなぁ。後々気が向いたらデジカメの方も現像します。

ガラタ橋の人気で分かるように結構釣りが盛んで釣具屋があるんだけど、マジで日本製の釣具ばっかり置いてある。海外に行かないとまさか釣具がこんなに外貨取ってるなんて知り得なかったな。どこ行ってもSHIMANO、DAIWAでなかなかアツい。

ユスキュダルはそんなにわかりやすい観光地や史跡があるわけではないので、主に街並みを見て歩く。2‐3時間もいれば港付近の様子はかなり掴めるので、イスタンブール旅行の遠征で軽くいくのにもよいと思う。 急峻と呼んでもいいレベルの石畳と階段が続くユスキュダルは、道路の両サイドを背の高いアパートが固めるヨーロッパを思わせる街並み。時々現れるモスクによって、ここはトルコだったな、と思い出させられる。

露店でいかにも甘そうなお菓子を買って食べた。クロワッサン生地に包まれたもち米が油で揚げられている。とにかく甘い。昔タイで食べたスティッキーライスのことを思い出した。

トルコは存外に雨の街。ユスキュダルにわたってからも一度通り雨に降られた。通り雨というにはなかなか激しいもので、バケツをひっくり返したような水量の雨が急に降り始める。しかし空は明るく狐の嫁入りな様相。10-20分雨宿りすればやむのだが、逆に雨具持ってこなくてよかったとも思った瞬間だった。なぜかというと、こうやって自分がコントロールできない時間の使い方をさせられるのが一番面白いから。隣でずっと独り言言ってるおじさんがいた。どこの国にもいる。

さて、雨もやんだし散歩も楽しんだのでイスタンブールに戻るとする。その前に本日2食目の鯖サンドを食べる。

のぶよさんにこき下ろされてた店売りの鯖サンドがいかほどのものか体験したくなったから。店売りの鯖サンドの特徴はフランスパンにサンドされているところと、サバは炭ではなくガス火で焼かれているところ。また、味付けも異なっていて、ハーブはそれほど強くない。サバに関しては店のもののほうが脂がのっていてジューシー。好み次第で割と5分5分なんじゃないかなぁ。

ちなみに、一般的な鯖サンドはバリク・エクメクと言う。露店のおじさん形式のものはバリク・なんちゃらという別の名称があるみたいなので、厳密には区別されているのではなかろうか。

鯖サンドの違いも堪能できたので連絡船でイスタンブールに戻る。ちなみに、イスタンブールでは船はかなり一般的な交通手段で、イスタンブールの公共機関に乗れるカード、イスタンブールカードを使うとワンタッチで乗れる。

イスタンブールカードは各公共交通機関の駅に設置されていて、カード代+乗車賃を最初に払って買うことでプリペイドカードとして使うことができる。イスタンブールは道路激込みでタクシーはだるい場面も多いので、イスタンブールカード買っとくのが楽。まぁ正直旧市街の中くらいなら全然歩けるけど。

この日はいろいろ見て回って疲れたので、イスタンブールに戻ってからはスーパーで食材を買って帰宅。やたらでかいパンとペラペラのハムと硬いプロセスチーズ、ビールも2本ほど。外食は高いし疲れるのでスーパーの食材で雑多なサンドイッチを作って食べることにしたわけです。見た目通りの味で悪くはない。 毛並みの良い野良猫も相席してくれる。 トルコは猫の街でそこら辺を日本よりも毛並みの良い野良猫が歩いている。猫自身もあまり緊張感がなさそうでぬるぬると人に寄ってくる。卑屈そうさもない。

2日目、実は夜は別の宿に泊まる予定だったんですよね。 さてここで実は話していなかったこの旅の目的(もといきっかけ)を話すとしましょう。何を隠そう、この旅は僕の奥さんの仕事の都合で決まったものだった。奥さんは仕事の都合上、たまに海外に出向く必要があるのだが、今年の春ごろに、次はイスタンブールに行くのが決まっている、と告げられたのである。期間としては込み込みで1週間ほど。家で留守番しててもいいのだけど、せっかくこういう機会だし、猫はどこかに預けて自分も旅に出たいと思ったわけです。

で、そのうえで行先はイスタンブール。理由は「奥さんの仕事についていくから」という立て付けの旅行にしたらオモロいんじゃない???と思ったからです。思い立ったらもうそれしかないという気持ちになってイスタンブール行きが決定。ついでに地図を眺めていたら前々から行きたかったジョージアが隣なことを知った(辻は日本史選択なので外国の土地感覚がない)ので、好機とばかりにジョージアも回る2か国周遊になったわけです。

夫婦で行先は同じといっても奥さんは仕事で行くわけで、なかなか自由な時間も少ないし飛行機の時間も縛りがある(いずれにせよ、仕事で行く人間と趣味で自費で行く人間が同じ飛行機に乗るのは困難)ので、現地集合という形をとることにした。 2日目の夜には奥さんも着く予定だったので奥さん側の宿に合流予定だったのだけど、ターキッシュエアラインズは非常に愛嬌があり、奥さんのフライトもしっかりディレイ。

結果として2日目に奥さんの宿に合流するのが難しくなったので、宿を探す必要が出てきたわけ。まぁそうなってくるとゼロベースは面倒なので、泊まってるホテルにもう一泊行けない?と尋ねることになった次第です。

さっと予約を確認したうえであっさりOKをもらい、しかも「(休日は普段より高いんだけど)Agodaで払った値段でいいよ」とのことでなんともハートフルなお国柄である。なけなしの現金から宿代を払い延泊が決定。旅行で大事なのはやっぱ国柄というか人柄だなと思う。人と接するので緊張する、警戒するというのはそれだけでエネルギーの浪費なのでそこが快適な国はいいですよね。要するに治安の良さというわけか。

観光地の超近くで綺麗でも一泊8000円くらい。

お金の話が出たんでちょろっと話すと、トルコもジョージアも現金を使う機会は多くないです。観光客が立ち寄るような一般的な商店でカードが使えないケースはほとんどないし、公共交通機関のチャージもカードで問題なし。今回みたいな宿代とか、タクシーとか乗り合いバンみたいなオーガニックな交通手段を使うときとかに使うくらい。でもそういう時はある程度まとまったお金が必要なケースが多いので現金を用意する手段は確保しておくべき。

メジャーな通貨の国なら事前に日本の空港とかで日本円から両替するのが一番ストレスないと思うけど、あまりたくさん両替して持ち歩くのもなんか気持ち悪い。なので個人的にはクレカでキャッシングしちゃうのがおすすめです。 特にジョージアはこれが有効で、街のいたるところにBank of GeorgiaのATM(国内最大手で手数料も良心的)があってサクッと現金化できるので良いです。両替でレート気にするだけ疲れますよ。

トルコはいろいろな銀行があってATMの種類も多いだけに難易度がちょっと高いんだけど、いくつか手数料が安いものがあるのでそこを狙うのが吉。ネットであたりを付けてGoogle Mapで探そう。

あ、もちろんどこでも共通の話として、カード使うときはスキミング気を付けましょう。ATMに怪しげな装置がついてないか見た方がいいです。ATM側の設備なこともあるけど、いくつか見て回ってリスク少なそうな見た目のものを選ぶのが吉です。それでも生身の人間と交換レートで嫌な空気になるよりはマシでしょ?僕はそう。

そんなことを話したりしてるうちに度数の高いビールで眠りに誘われ2日目は終わり。

3日目はイスタンブール最終日。この日は奥さんと合流する予定もあるので、ベタな観光地を抑えるプラン。

合流は午後になりそうだったので、まずは朝一で地下宮殿に向かう。宮殿というと何とも豪奢な雰囲気だが、より正確な名称としては地下教会といった方が良いだろう。トルコもといイスタンブールオスマン帝国本拠地でもあり、イスラム教国家なのだが、そも征服国家であるオスマン帝国、それ以前には征服された側の人間の営みがある。

トルコの隣ジョージアは最古のキリスト教国と言われるように、このあたりにもキリスト教がもともとの宗教として根付いており、カッパドキアの地下教会などがイメージに容易いと思う。同様にイスタンブールにもかつてのキリスト教の宗教施設として地下教会のような遺跡がある、というわけ。これはオスマン帝国イスタンブールを覆う頃には忘れ去られていたようで、割と最近になって、地元住民が生活用水として使っているでっかい地下貯水池を調べたらそれが過去の宗教施設だった、という経緯で再発見されたよう。

中に入ってみるとかなり天井が高く、みっちりとした石組みで組まれていてとても幻想的。ところどころにある柱には「「アステカ」」って感じの顔の彫刻みたいなのがあったのだけどあれはなに由来の文化なんだろう。割と並ばず入れておすすめのスポットです。入場料は普通に数千円する。

続けて、ブルーモスクかハギア・ソフィアのどっちかに行こうと思いそちらに向かう。ブルーモスクはイスタンブールで一番でっかいモスク、ハギア・ソフィアはその隣にあって、同じくらいでかいのだけど、いろいろな建物が隣接していて、その全体が学術施設の役割をかつて持っていたとのこと。ソフィアですしね。

で、その隣に2日目にぶらついた宮殿がある。これは王家の居所。そんなわけでイスタンブールの政治的機能の中核がほぼほぼ同じところに集まっているという感じなのである。ブルーモスクはイスラム教徒がお祈りを行う場所でもあるので、お祈りの時間以外じゃないと入れない。時間を狙うのが面倒だったのでハギア・ソフィアに行くことにした。チケット買う列が朝行っても1時間くらい並ぶので、時間を見ておく必要がある。

ちなみに、並ぶのが面倒な人は公式サイトでもオンラインチケットが買えるのだけど、これが結構高い。なので、ある程度時間決め打ち出来て節約したい人はGetYourGuideとかで優先入場券を買うとよい。ガイド無しのチケットのみだがなぜか公式より安い。僕はそういうのめんどかったのと、どうせ時間もあるのでぼーっと並んだ。

チケットは2種類あるので買い方には気を付けよう。ハギア・ソフィアは、昔は美術品の展示とかも行っていたのだけど、今は聖堂としての観覧のみになっていて、美術品は別の美術館に移されている。ハギア・ソフィアのチケット売り場では、聖堂のみに入れるチケットと、美術館も見れるチケットの2種類が販売されている。美術品に興味がない人は聖堂のみのチケットを買えばいいのだが、僕はたいして下調べしてなくて考えるのがめんどかったので高いほうのチケットを買った。美術館にはいかなかったのでお布施である。ちなみに6000円くらいだった気がする。すべてが高い。

ハギア・ソフィアも一般開放されているとはいえ聖堂としての機能もある。なので、観光客は2回のバルコニー部分から聖堂を見下ろすようなルートで観光することになる。中はシックな感じで暗色な感じの装飾にところどころ鈍く光るゴールドがちりばめられていてめっちゃかっこいい。ドーム型の建築って天井が高いのに柱がないのがすーっと気持ちが抜けていくような感じになれてよい。地震大国では培われなかった文化だなと思う。 ちなみにハギア・ソフィアの装飾には天使などキリスト教の趣もある。日本でいう神仏習合みたいなことがオスマン帝国支配下イスタンブールでも行われていたということらしい。そこもまたかっこいい。

ざっと名所見てまだ昼前なのでぶらつきがてらバザールへ向かう。グランドバザールはトルコの一大観光地でランプやら絨毯やらいろいろなお店がぎっしり並んでてかなり観光に良い場所である。 実際に訪れるとこんな感じ。

そう、お察しの通り、バザールは日曜は休みなのである。ちゃんと日曜休むのってすごくいいよね。明らかに稼ぎどころなのに。皆さんはちゃんと下調べして向かいましょうね。

まぁ正直ないならないで、くらいの感じだったので海に向かって歩いてたら急ににぎわっているエリアにたどり着いた。エジプシャンバザールと呼ばれる別のバザールがあって、こっちは日曜でもやってるらしい。甘すぎるお菓子、お皿、ランプ、スパイス。異国情緒あふれる趣にはやはりテンションが上がる。ぶらついて軽くお土産などを買う。

昼過ぎにまたガラタ橋に着いた。ガラタ橋は海面に近い1階部分がレストランになっていて魚料理を中心に色々食べられるのである。ちゃんと観光客気分を味わいたくてそのうちの一つのレストランに入る。なんか現地っぽいものが食べたくて、ブドウの葉っぱの塩漬けでお米を巻いた前菜と、ラムだったか何だったかを煮てヨーグルトに乗せたいかにも感のある料理を食べた。いわずもがなおいしい。肉料理は冷えたヨーグルトに盛られるので油がガンガン固まっていくのが胃腸への不安を煽りはしたが。。魚食べんかったんかい、という声が聞こえてきそうだが、なんかあんまり魚料理でローカル感感じるものなかったんだよなぁ。後、純粋に一人向けの料理がなさすぎ。

昼食を終えてひと段落。奥さんとの集合まではまだ時間があるので、一度宿に戻る。既にチェックアウト後だが、荷物を預かってくれていた(いつでも無限に預かるぜ!というハートフルさに甘えた)のでそれを回収しに行く。

ホテルのテラスにぼんやりタバコを吸っているテンガロンハットのおじさんがいた。ホテルのおじさんが入れてくれたチャイ(トルコでいうところのチャイは普通の紅茶)をすすりながら同じくテラスでボーっとタバコを吸っているとおじさんに話しかけられる。

海外での会話は大体がどこから来たん?から始まる。 し、日本から来たよって言うと表情が柔らかくなることが多い。日本人の生真面目さや経済的な発展は世界共通の認識で、ぼんやりとリスペクトをもって接されるような感覚がある。おじさんも同じで、日本から、というと「いつか日本行ってみたいんだよね」と返される。見た感じ日本でも定年迎えるぐらいの年齢に見えたが、そういう年齢の人が自然とクソ離れた日本に「いつか」行きたいって言えるの、なんか生きることに前向きでいいなと思う。 飛行機で13時間かかるよって言ったら、マジか、、、それは無理や、、、と言っていたが。

テンガロンハットのおじさんは終始くゆらせた煙のようなまどろんだ空気を持っていて、だらだらといろんな話をした。日本は技術力があるのになぜビンボーなんだ?と聞かれたときは思わず背筋が伸びたけど、みんなコミュニケーション下手なんだよ、と返すくらいしかできなかった。日本はいい国だと思うけど、暗い国だとも思う、みんなメンタルやってるだろ?と聞かれたので、そうだね、俺も鬱病だよと返答したら少し笑われた後、俺もだ、と言われた。

あまり日本に住んでいるとないことだが、自分の国の良いところ悪いところについてどういう意見を持っているのか?みたいなことは割と大事な命題だなと思う。島国の人間は海以外の国境を知らないから、自分たちの国のアイデンティティを陸続きの隣国と比べるために推し量ることを知らないな、と自省した。

そろそろ奥さんが到着する時刻なので、おじさんには別れを告げ再びアヤソフィア周辺に向かう。

さらばすばらしきANADOLU HOTEL

ベンチに座ってぼーっとしていると向こうから奥さんが歩いてくるのがわかった。ずっと一人で行動していると、普段よりひどくのびやかで、でも普段より緊張しているような自分の体から自分が離れているような不思議な気持ちになる。そんな中で知っている顔を見ると急に自分の中の自分が戻ってきたような気持ちがして少しホッとする。

奥さんと合流してからは、自分が2日間で見た観光地を巡るような気持ちで、ブルーモスク、アヤソフィア、エジプシャンバザールと順に巡った。

これがブルーモスク、アヤソフィアと違って爽やかな感じで良い。

奥さんは旅先で気の抜けた動物の置物を買うのが好きで、バザールでも軽快な日本語を話すトルコ人からドラえもんみたいな顔の猫の置物を買っていた。

ちなみにこの店、数日前にバキ童ことぐんぴぃ氏も来ていたらしい。さらにはかなり近い時期にサツマカワRPGもロケでイスタンブールに来てたとのこと。サツマカワ結構ファンなので会いたかった。GERAのラジオでスタッフに買ってきてたお菓子のお土産、絶対これだろうなと思いながら僕も買った。

ちなみに奥さんと再び向かったアヤソフィアは入場券が一回きりだったぽく、ゲートでQR読ませたらエラーっぽいのが出たが、見てたスタッフの人がマスターキーみたいなので通してくれた。助かる。

夕焼けが迫るガラタ橋を三度渡り、向かった先は昨日鯖サンドを食べた野良屋台。結構感動する味だったのでぜひ奥さんにも食べてほしかったというわけ。昨日のおじさんに声かけて、おいしかったから奥さん連れてまた来たよ、というと少しニヤッとされた。どうせ言葉通じないんだから肯定的な言葉は積極的に発しとくに越したことないので、とにかくVERY NICEとかSUPER NICEとか言うようにしている。

仕事終わりにスマホいじってるおじさんと屋台。

奥さんも鯖サンドは気に入ってくれたようで、いい息抜きになったならよかったなーと思いつつ、新市街側の宿に向かう。トラムに乗るにはメトロカードがいるのだが、奥さんは仕事で滞在期間中使えるカードもらったとかで意気揚々と改札にタッチしたものの、NG食らってた。チャージまではしてくれてなかったらしい。やや世知辛い。

僕はこの日の深夜にジョージアに発つ飛行機だったので、奥さん側の宿で軽く休んで、夕食を食べる。そこいらのファストフード店みたいなのに入った。これとこれって言うとおかずを取り分けてくれるシステムで結局こういうのが一番いいよなーとか思っていた。奥さんも飯がうまいと喜んでいた。

新市街のハイソな宿でビシビシに効きがいいエアコンのもと仮眠を取り、BYREDOのシャンプーの香りをまとった僕は深夜3時にバスに乗り、イスタンブール国際空港へ。一本2000円するバカみたいな水に目を白黒させながら、隣国ジョージアの首都、トビリシに向かうターキッシュエアラインズに搭乗したのであった。

奥さんは翌日からいよいよ仕事である。僕の旅はまだ折り返し。 また続き書きます。

トルコとジョージアを一人旅(トルコ編:前編)

どうもみなさん、お久しぶりです。

突然ですがイスタンブールトビリシに行っていました。6年ぶりくらいの海外です。

文字にしていこうと思います。

日本時間の9/20 10時の飛行機に乗るところからが旅のスタート。

朝6時に起きて家を出る準備をしていると、ターキッシュエアラインからSMSが到着。

force majeure / operational reason で2時間出発が遅延するらしい。まぁでもとりあえず空港には向かうかと言うことで成田へ。force majeureという表現を始めてみたけど、なんか文化圏を感じる言葉でいいですね。

 

スムーズに発券もできちゃったので暇になって、ラーメンを食べたり、マッサージチェアでダラダラしたりして待つ。ところで、いまだによくわかってないんですが、オンラインでチェックインして、預ける荷物もないときって、チェックインカウンター行く必要あるんですかね?チェックインカウンター行くと紙のチケットもらえるけど、ほんならスマホに入ってる電子チケットって何?とこの旅で4回思いました(4回飛行機に乗ったから)

 

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松戸富田なんちゃらって店で食べたが、写真は池袋大勝軒の家元の写真だったし、味は大勝軒寄りだった。よく分からん。

隣のアジア系の人がふたりでつけ麺3杯頼んで目を白黒させていた。券売機のUIが良くないとおもう、日本人でもわかりづらい。

 

遅れはしたもののそれ以上の遅れはなく、無事12時半に飛行機は離陸、と思いきや、客詰めてから飛ぶまで30分くらいなんかワタワタしてた。色々大変なんだろう。

 

フライト時間は13時間とかなり長い、せめて直通なのが救い。(余談だが、HISで今回チケットを取ったのだけど、全然sky scannerとか使うより安かった。ジョージアへの移動も含めて全部ターキッシュで揃えて2週間前に取って計24万。全然アリの値段)

ヒマを恐れてタブレットにネトフリ落としといたり、ラジオ落としたりしといたが、なくても何とかなる感じだった。

 

ターキッシュの機内は割とゆとりのある感じでアメニティも充実しており。

 

また、備え付けのモニターのコンテンツも充実してて、映画も数も多かったし、音楽聴くアプリでトルコのオルタナとか聴けるのが良かった。

 

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ここら辺が良かった

 

飛行機って言ったら映画だよなと思い至り、行きはSISUとダンケルクの2本を見た、飛行機に乗ると何故か戦争映画が見たくなる、これってトリビアに、、ならないかな。

SISUイメージしてたより絵の感じとかB級みがあったけど、非常にわかりやすい一本道の映画だったので、娯楽映画としてかなり良いものだった。

 

それで言うと逆にダンケルクは絵はもちろん最高だけど、結構ストーリーが複雑で、英語+英語字幕はギリきつかった。英語の勉強、したくねー、、。

3つのストーリーが、大団円とも呼べるか絶妙な後味で合流して集約される様はとても見応えがあったし、全体的に務めてドライな質感なところに戦争をテーマにする上での思想があって良かった。なんか分からないうちにバリーコーガンが死んでしまった。

彼の死が映画の構成上重要な気がしていて、兵士たちの戦いの横で、歯牙にもかけられず死んでいく一般人たちの象徴としてあの死があったようにおもうし、そういう路傍の死、みたいなのが表現の根本にあるように感じた。

 

機内食は2回。beef or chickenと??? or ???、beefと???を選択。

2回目の食事はマジでなんて言ってるか分からなくて、僕の耳にはアイスorヌードルと聞こえたのだけど、絶対そんなはずないとおもう。

ちなみにアイスを選ぶとオムレツ、ヌードルを選ぶとグラタンみたいなのがもらえる。マジでなんて言ってたんだ。

味は特に申し分ない。というか自分はあんまり食べ物をまずいと思わない人間なのであんまり参考にならないが、美味しい部類だったとおもう。

 

現地時間で20時ごろに無事イスタンブール空港に到着。実はここで割と時間を食う出来事が一つ。今回の旅は準備をなるべくやらないロープランな旅にしようと思っていて、なんとなく使うっぽいタクシーアプリとかバスアプリとか入れるだけ入れて何も事前準備をしていなかったんだけど、いざ使おうと思うと登録で必ずSMS認証が必要になる。でも、僕はeSIM(電話番号なし)を買っていて海外で使える電話番号がないので認証する手段がない。

という結構基本的なところでドツボにはまってしまい、空港のバスターミナルで1時間浪費した。結局日本のSIMでローミングしても全然SMSが届かないので何とかなるかと思ってバス乗り場に行ったら、普通にチケット現金で買えた。(前情報ではアプリでクレカ決済しかだめって聞いてたのに!!!)さらに言うとチケット買わなくても乗車時にクレカ使えるらしい。いったい何の時間だったのか。

 

イスタンブール空港から市街地へはhavaistという高速バスを使う。確か1回3000円くらいで乗れるはずでこれはアプリでタクシー乗るよりだいぶ安い。当たり前ではあるのだけど、トルコもジョージアも公共(ぽい)交通機関が安い。今回、ジョージアでも同じミスでタクシーアプリ使えなかったから全部公共交通機関と徒歩で乗り切った旅だけど、全然ストレスなかったので皆さんにもお勧めです。

 

確かホテルの近くの市街地に着いたのが24時ごろ。日本だと歓楽街でもだいぶ落ち着く時間だけど、イスタンブールはさすが観光地、観光客っぽい人がたくさんぶらぶら歩いている。道も明るいし、よっぽど入り組んだ路地にでも入らない限りピリッとした空気も感じない。陽気で穏やかな雰囲気。

ホテルにへとへとでたどり着きとりあえず荷物を置いて食事できるところを探す。24時ともなるとやはり多少は選択肢が限られるのだけど、僕が泊まった場所はブルーモスクやアヤソフィア付近の旧市街でド観光エリアなので割と深夜までレストランバーがやっている。

 

客引きに呼ばれて席に着いた店で、なんか鶏肉のトマト炒めみたいなのがついたご飯とビールを注文。味は穏やかで、素材の味をベースに無理な味付けはしていない感じが食べやすい。スパイスは結構効いてると思うんだけど使い方はカレーとかとは全然違う感じ。トルコは結構お米が食べられるのだけど、あまり主食という扱いじゃないみたい、どこでも料理にちょこっと添えてあって、そういう料理にもパンがついてくる。感覚としては野菜とかそういうニュアンスなのかな?料理のボリューム出しみたいな感じ。

 

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ちなみに、トルコは今ドギツいインフレ社会で通貨価値がわけわからんことになっている。そこに加えて円安、さらにはイスタンブールの観光地価格というトリプルパンチで、割と物価が高い。この食事はビール込みで4000円(料理は3000円、ビール1000円)。観光気分じゃないとちょっと落ち込む値段ではある。

 

そんな感じで初日は終わり。遠い国ともなると移動も1日がかりでなんか損した気分になる。

 

2日目、早朝5時に拡声器越しのデカすぎるおっさんの歌で目が覚める。独特の節回しのそれは宗教色が強い感じ。後々なんとなく把握したけど、どうやらイスラームの礼拝の時間になると流れてくるみたい。これ結構すごいのが、どこのスピーカーからも生の人の声が流れてくる。ムスクにそれをやる人がいてそれをやる仕事があるということなのだろう。

そういう日本と違う懐を感じると海外にきた実感が湧く。

 

今回の旅、外食が多くなる都合、朝食は宿で取れると楽そうなので朝食付きのホテルを選んだ。イングリッシュブレックファストというやつか。普通に美味しい。

 

ちなみにこれは3日目の朝食。すでに食べ疲れしているのが見て取れる。

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ネクタリン、ゆで卵、ちょっとした炒め物

この日は船でイスタンブールの対岸のユスキュダルに渡ろうと思っていたのだけど、昼前から結構強い雨が降ってきた。

そんなわけで雨宿りしつつ観光できるところを探して、結果トプカプ宮殿博物館に行った。

オスマン帝国君主の邸宅であり、今は博物館となってるこのどデカい建物、見れる美術品も去ることながら、ゲストルームやハーレムなど、いろいろな居住空間がまま残っているのがかなりアツい。庭もとても綺麗で、バルコニーからの眺めも最高。博物館としても、建造物としても楽しめるのでとてもお勧め。

 

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写真撮ったつもりで撮ってなかったのだけど、庭の一角に、オスマン帝国時代の宮殿の絵があって、ここが今だとこうなってるんだよーみたいな展示があったのだけど、絵に描かれていた小さい庭木が今ゴツゴツの巨木になってそびえてて、これはかなりグッと来た。

 

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どこまで撮影禁止だったのかよく分からないが、俺がグッときた美術品をみんなにも見せてあげよう。

 

ちなみに、この博物館、入場料1800リラとかする。日本円で7000円超。オススメです。

 

博物館を存外楽しんだら雨も止んだので港へ向かう。

港へ向かうにはガラタ橋という大きな橋を渡るのだけど、橋にびっしりと竿を出してる釣り人が並んでて、みんなアジだのイワシだのボラだのを釣っている。青物ばっかり、これが地中海なのか。なかなか気持ちの良い場所でイスタンブールにいた間は暇になったらここでタバコ吸って人を眺めていた。

 

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この橋を渡って新市街側に渡ると、ユスキュダルに向かえる船が出る港がある。ちなみに港を目指したのはもう一つ理由がある。

 

うまい鯖サンドを食べるためである。

 

イスタンブール並びにジョージア観光においては、日本人バックパッカーののぶよさんのブログをたくさん参考にさせてもらったのだが、この人が昔うまい鯖サンドでバズってたのを見かけたことがある。

その鯖サンドを探しに行った。

 

ポイントはマジの道端に露天でコンロ置いて鯖焼いてるおじさんを探すこと。

そんな人おるんかいと思いながら歩いてたらマジでいた。

カリカリのおじさんが露天で鯖焼いてる。良すぎる光景。

買える鯖サンドはナンのようなチャパティのようなラップ形式で中に鯖と香草たっぷりな野菜、レモンをギュッと絞ってミックススパイスを振りかけるシンプルな味付け。

 

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ガツンと濃いタイプのうまさではないが、新鮮なハーブの香りの強さとさっぱりした鯖の味付けなど、全てが絶妙でうまい。これはいい体験だった。

ちなみに一見強面のおじさんは意外と陽気で、いくら?って聞くと、160…なんだけど150リラでいいよ!とか、写真撮っていい?って聞くと特別にタダでいいよ!とか気さくなことを言う。

焼いてるの待ってると、鯖の骨に引っ付いた薄い身をカリカリに焼いたのを剥がして手渡しで食べさせてくれる。これもまたエモい。野菜やハーブ、レモンは新鮮でみずみずしいが、朝市場から買ってきたのか、発泡スチロールに無造作に詰められている。そこから盛り付けられる、これもまた良い。

 

~後編に続く

 

脚注:本当はトルコ編全部書いてから上げようと思ったんだけどめっちゃ長くなりそうなのと時間かかって体力が持たないので一回分けて出します。現在トルコ編後編を書いてます、忘れないうちにジョージア編も書きたいから頑張る。

2024年の上半期を振り返ろう

どうも、ご無沙汰してます。 文字を書くのが大好きだけど、なかなかやるぞっていう日がなくて文字を書かない人間です。 やるぞと思ったので今年の上半期をぼんやり振り返りたいなーと思います。GO!

1月

サンシャインシティでやってた世界らん展に行きました。ここ数年の僕の植物趣味は乾燥地帯の灌木、塊根やアガベなどのビザール系に集中していたのですが、 年末くらいにブロメリア協会の即売イベントでいいチランジアをいろいろ見てから草にもモチベーションが再燃してきており、折しも、という感じだったので行ってきました。

世界らん展は、らんと言いつつ温帯~熱帯植物を広くカバーしているイベントで、老若男女、国籍様々な客層、出店者層も含め全体的に穏やかなイベントで居心地が良いです。

いくつか蘭を買って、生産者さんと話したりで良きイベントでしたね。生産者さんが、雨水が植物には一番いい、という話をしていて、なるほどと思いながら聞いていたのですが、 雨水は構成粒子の運動状態が水道や汲み置きの水よりも活発で、それゆえに植物体に浸透しやすいのが良い、みたいな話をしていて、科学と宗教は紙一重だなと思いました。 信じるはよきとして、その精査も大切ですね。

あとは、in-factoやResort Ownerを一緒にやっているykpyくんが自作したWindowsに心折られていたのでありがたく買い取りました。 ずっと10年物の一体型デスクトップ使ってたので、あまりの快適さに涙が出ます。 結局道半ばなのだけど、映像制作のためにblenderをやらねばならない。

あと、いいPC買ったし、ということで、MOTUのM2を買ってちょっとましな宅録環境を整えました。蛇口君からもらったAbleton LiveのLiteでベース弾いて遊んでます。

2月

猫を堕ろすが東名阪のツアーをしてたので着いていってました。 大阪では、念願だったペペッターズのライブを見れて感激。ボーカルの機材トラブルで、歪み一個だけでライブやってたけど、普通にギターがうますぎて完璧に成立しててすごかった。

ソーコア、とってもいい箱だなと行くたびに思います。まぁ友達についていったことしかないのだけど。猫の物販手伝ってたけど、マジでお金の管理が一切できてなくて全然だめだった。 箱打ち解散してから夜の街をさまよってエイト(大阪にもあるのに驚いた)に流れ着いたものの、みんな疲労困憊だったのが記憶にある。無理して中華を探していたのも謎だし先導してた僕含め全員判断力を失っていた。

翌日はウォンバット見るか、アクアリウムショップで熱帯植物見るか(熱帯植物の採集家はやたら関西に集中していて、関西には熱帯植物に強いショップがたくさんある)と思っていたのですが、普通に疲れすぎててそのまま新幹線で東京に帰った。

あとはmoreruのリリパとか、ベルセデスのリリパに行ったりしていた。moreruのリリパ、asiaでオールナイトだったんだけど、一晩通してナードカルチャーの目が死んでてギラギラしたギャルとメンズが充満していてすごいカルトな空間だった。

穏やかに見ようと話してたサークルの後輩が、moreruのライブで飛んできたペットボトルの水かぶってびしょぬれになり、その瞬間俺の視界から消えて弾丸のようにモッシュピットに突っ込んでいったのがかなりエモーショナルでよかった。 目当ては5年ぶりくらいにライブやる5000だったんだけど、そもそももうライブやってくれないと思ってたから本当に見れてよかったし、モッシュでぐちゃぐちゃにもまれながらしみじみ涙を流してしまった。本当にかっこいいバンドだ。

ベルセデスのイベントもよかったなぁ。この時のmoreruは、リリパよりもギア上がってて、あわや全裸となりながら流血して絶叫するボーカル、クソ重いギター投げ捨てて客席に突っ込んでくるギターなど、他人のリリパをここまで破壊的に盛り上げられるのはただただすごいと思った。 それに負けないめちゃくちゃいいライブしてたベルセデスも本当に信頼できる。 音楽の月でしたね、2月は。

3月

Beau is Afraid見た。アリアスター監督の新作。本国ではこけたとかで、A24の財政にデカめのインパクトを与えたとのうわさもあるけど、マジで最高の映画だったと思う。 よぼよぼのホアキンフェニックスの演技の最高さたるや。。。次回作もホアキンフェニックスとやるらしいですね。

アリアスター監督は間違いなく脳が拓いているタイプの創作者で、見るからに常にアドレナリンが分泌され続けているタイプの脳でしか作れない作品を作る。 そういう人の作るものは病的にこだわっていて、普通の人間はそんなことやろうと思わないような、途方もないような情報量を制御してパッケージングされていたりして、つまりところ天才ということだと思う。

序盤の、主人公が住んでいる最悪の街で、街を歩いているだけなのに何十人もの通行人がそれぞれ最悪なことをしていて、そのすべてに別個のストーリーがあり、しかもそれがほとんどカットを切らずにワンカットですべて映されている、というとんでもないシーンがあるのだけど、正直あれを見れただけでチケット代の元は取れてる。 あんなに繊細で大胆な映像は正気では撮れない。

あとは最終盤のボートで審判を受けるシーンもめちゃくちゃよかった。 精神世界と現実世界が、その境界線をあいまいなまま融合されていく、というのはフィクションが前提である創作物の中だからできることだし、しかもそれを、映像という比較的現実に近い創作ジャンルでやるというのは本当にすごいこと。マジで怖い。

あとは、初めて漫画家のサイン会に行った。 「冥冥冥色聖域」というメイドリフレの漫画を描いているセキアユム先生のサイン会で、会場もアキバのメイドリフレというこだわりがとても気になって応募してみた。 僕は物心ついた時からとにかく漫画ばっかり読んでて、漫画が大好きだし、それゆえに漫画家という職業をかなり神聖視している部分がある。もはや描き手は次元の違いところに住んでいる存在だと思っていて、到底同じ空気を吸うようなことはないとすら思っていたかもしれない。

それくらい、自分の世界と隔たりがあったものだったので、サイン会はかなり緊張した。ただ、そういった場でサインを描いてもらいながら漫画の話をして思ったことは、あなたが作っているものは素晴らしいものなんです、助けられています、と伝えることの大事さだったようにも思った。

認知を求めるとかそういうのじゃなくて、純粋にええもん作っとるから頑張ってや!みたいな応援の気持ちを直接伝える場って、漫画においてはかなり限られてるなと思った。 音楽はかなりショービジネス寄りで、人に見せる、人と会うことがある程度前提になっているから受け手との距離が近くて、そう思うと、漫画家、小説家みたいな作家業はとても孤独な創作だなと思う。

4月

関東における熱帯植物採集家の一大イベント、草わるんに行ってきた。町田の芝生の敷いてある広場に、鼻息の粗いオタクたちが列をなし、くじ引きを引いて並んで、一株下手すりゃ一万円を超える東南アジアの雑草を買い付けるとかいう結構煮詰まってるイベント。ロマンを買うことの良さがあるわけですな。

このイベントはダンゴムシの飼育に熱を入れていた4‐5年前から仲良くさせてもらっている人と一緒に行ったのだけど、新しい趣味を通じてつながった人といろいろ話をする機会があまりなかったのでとても有意義で楽しかった。趣味って、そこそこちゃんと熱を入れないと楽しくなって来ないので、とりあえず普通の趣味やっている人の1.5倍くらいは知識叩き込んでからがスタートだと思っているのだけど、近い価値観の人と話をするともっと熱を入れたくなっちゃうね。 学名で検索して、海外の情報仕入れて、自分で種まいたり買い集めたり、現地の気候を想像しながら試行錯誤していい株を作ろうとしたり、噛めば噛むほど味が出る趣味です、植物は。

5月

細々とやってきたホラー映像制作活動in-factoが、ついにというか、急にめちゃくちゃバズった。ひと月でチャンネル登録者数が10倍近く増えた。 正直、世の中の反応の多さには驚いたけど、自分たちが作ってきたものには信頼と自信を持っているので、いつ世に広く出ても恥ずかしくないものだし、ようやく見つかってくれたな、みたいな気持ちも持ったりした。

ホラーというジャンルの面白いところは、とにかく余白を持たせられるところだと思う。僕は余白の多い創作物が大好きで、その余白の味をしがんで生きている部分があるので、そういう気持ちを持った人が見てくれる人にもたくさんいたことは正直勇気づけられた。

面白いのは、考察をしたい人がたくさんいたことかなと思う。そういった人たちがコメントで展開する持論・議論には僕らもなるほどと思わされたり、我が意を得たりと思ったり、僕らの作ったものを真剣に受け止めてくれているんだな、と分かったことはかなりうれしかった。

そんで、そういう人たちの見え方を見させてもらってまた自分にフィードバックとして返ってきた感覚で大きかったのは、見る側も見せる側もピントの合わせ方って大事だなという話。 ものを批判的に見ようとするといくらでも見れるわけで、そういうときって無駄なものにピントを合わせようとしてしまうことがある。正直、僕は伝えたい軸が感じ取れれば演技が大根でも、小道具がしょぼくてもまぁええやん本質ちゃうし、と思う場面もあったりするんだけど、少なくとも自分がコントロールできる範囲ではそういったピントを合わせたときに粗になるノイズは廃していくことがモノづくりの精度を上げるうえで大事だなと思ったりした。

僕もネットの短編ホラー見て、なんでその設定でその小道具やねん、みたいなので気が散ってしまうこともあるし、そこを気を付けてしっかり外枠を作るのは怠らないようにしたいね。 (バズった動画で、カメラの位置が監視カメラにしては低いけど、設定としては隠されているカメラっぽいし意味ありげだ、みたいなコメントがついてて、そこまで見てくれてありがとう、詰めれてなくてごめんね、と思ったので。)

6月

引越しした。三鷹の家、ちょっと家賃高いけど広いしアクセスいいし、環境かなり良くて気に入ってたのだけど、建て替えするから契約更新までに立ち退きしてねってことで出ていくことになったのが去年の9月。そっからいろいろ立ち退き時期なんかの交渉をして6月末までに立ち退く形で合意したのだけど、なかなかいい物件が見つからず、何とか引っ越しが終わったのが6月下旬。結構危なかった。 引越しに際して、漫画を梱包するモチベを保つために、梱包の様子をインスタライブで垂れ流してたのだけど、存外評判が良くてちょっとうれしかった。

新居も無事本棚置けたけど結局溢れてる分をどうするかは考えなきゃいかんのすわ。

文章書くのと同じくらい、ああいうだらだらした話をするのが好きなので、たぶんポッドキャストとかやるのがいいんだろうけど、人とやる相手もなかなかいないし、かといって一人でやるのもなんか「「「自我」」」でちょっと日和っちゃうし。でもまぁもっと脳みそを垂れ流す機会を増やしたいので一人でもやってみようかなと思いつつある。 引越し先の家は、三鷹の家より広い、家賃やすい、でっかい庭ある、なんか地下室もある、などいろいろ住みがいがある物件でまぁ悪くないところを見つけられてよかったかなと思う。 庭が本当ありがたくて、水道と洗い場があるおかげで、毎日ダバダバ植物に水やりできるようになった。おかげで今園芸が楽しくて仕方ない。

今回で東京にて4件目の物件で、自分はとにかくコンビニと家の距離の引きが良くて今までの物件はすべて徒歩30秒以内にコンビニがあったのだけど、今回の家も無事デイリーヤマザキが至近にある物件になった。 デイリー実際どうなんと思ってたけど、とりあえずHOPEのスーパーライト置いてあるし、おーいお茶濃い味の1リットルペット売ってるし、あとめっちゃパンがおいしいのでかなりいいかもしれない。

今までよりは住宅街(というかちょっと田舎)な感じの場所でとにかく人の暮らしが近い。 あとめっちゃ生き物がいる(野良猫もいる、うちの鉢植え倒したお前、次見かけたら水ぶっかけたるから覚悟しとけよ)。 そういう意味でも住みがいがある、奥さんは虫を嫌がっている。それはそう。

あと、去年の秋からやってた音楽活動、Resort Ownerが少しづつ形になってきた。現在、曲を貯め終えたので11曲入りフルアルバムの制作とライブ活動の準備をしています。 僕は紆余曲折あってベースをやることになり、これまでギターしかやってこなかったので、練習を日々している。正直ギターよりベースのが楽しいかもしれない。

学生の頃は、曲作るためとか、コピーバンドするためとか、目的があって楽器の練習をしてたけど、今はシンプルに楽器うまくなるために楽器の練習をしている。それが意外と楽しい。 ベースはギターよりニュアンスの楽器だと思うし、感覚を音に反映しやすい分気にかけることが多い。音一つの切り方、伸ばし方、弾き方、そのすべてが自分の個性にできるという部分はかなり面白く感じる。Resort Ownerの制作では、打ち込まれたベースを弾くことも多いけど、それも自分のニュアンスを加えることで、自分のフレーズとしての色が出せて楽しい。

というか、僕はずっとコンポーザーとして音楽活動してきて、自分の曲をメンバーに弾いてもらってたのだけど、実はずっと人の作った曲で楽器を弾く、人と作った曲で楽器を弾く、というのにあこがれていた。なので楽しくやれているし、引き続き精進しようと思います。

末筆

5月に誕生日迎えて31歳になったわけなんですが、常に今が一番楽しいままここまで生きてこれて幸せやなという感じがします(鬱で無になってた時期はまぁ忘れるとして)。自分の楽しさを更新するためには、アウトプットし続けることだと僕はずっと思ってて、ここ1-2年はそれを人を巻き込んでやっていくことで、より強固で幅のあるものにできてきたことが、楽しさを継続できてきた理由に思います。

結局一人でやっていくには想像を絶するストイックさと苦悩・苦痛を引き受けなければいけなくて、それをきちんとチームで分配して持続可能性を考えながらやっていくことでスケールさせていくというのがここ数年の僕の命題になりそう。 仕事みたいやなと思いますが、ある意味正しい。趣味は仕事だとも思うし、逆に仕事も趣味だと思う。そういう感じで、僕は自分のアウトプットのフィールドをいくつか持っていて、それをぱちぱち脳の配線を切り替えながら、今はこれが趣味、今はこれが仕事、みたいな感じでやってます。

なので、あんまり休んでリフレッシュする、みたいなのがわからないし、あんまり必要性を感じてこなかった身ではあるんですが、最近、「それはそうとして、一回そういうフィールドから物理的に離れて休む=リフレッシュするのいいよ」と上司に言われてハッとしたので、秋口くらいに久しぶりに海外旅行しようかなとか思ってます。 トルコ~ジョージアの2国を回ってこようかなと。ひとりで海外行くの初めてなんで楽しみですね。

じゃあ、そんな感じで。また次のなっげ~ブログで会いましょう。

2023年を振り返る(良かった漫画10選)

2022年に引き続き、2023年も良かった漫画を10冊選ぼうと思います。 昨年は2022年に1巻が発売された漫画から選んだんですが、今年はそういうの関係なく、2023年に買った漫画で良かったものを挙げようと思います。暇つぶしにでもどうぞ。 もう2024年に入ってしまいましたが、今年、と表記のあるものは2023年を指してると思ってください。めんどくさいので。

2023年の漫画10選

砂の都

morning.kodansha.co.jp

今年の漫画史を語るにおいて外すことはまず不可能でしょう。叙情的で肩の力の抜けた線から描かれる、空想世界の人間模様。僕が人生において好きな漫画家を5人挙げろと言われたら必ず挙げる、町田洋の新作です。待望にも程がある、手に取った時少し泣きました。稀代の名作、夜とコンクリートから10年くらい経ってますからね、もはや刊行されたことが奇跡に近い。

SNSで交流のある方が、市川春子、町田洋あたりをひっくるめて「鉱物系」と呼んでいる、というのをみてとてもしっくりきました。いい表現ですね。 夜中3時に、街並みを眺めながらビルの屋上で冷たい空気を吸った時みたいな気持ちにさせてくれる漫画です。 なんというか説明できないんですよね、好きすぎて。とにかく読んでみてください、よろしくお願いします。2023年のベストです。

商店街のあゆみ

www.hakusensha.co.jp

今やサブカル漫画としてかなり地位を得ているように思うpanpanyaの新刊です。写実的な背景の書き込みと鉛筆で描かれる柔らかい輪郭のキャラクターとの対比が気持ちいいですよね。 常に最高ではあるんですが、今回の単行本はかなり良かったです。街や建物にフォーカスした短編で構成されてるんですが、表題の商店街について描かれたものが素晴らしかったですね。

商店街がどんどん移動していく、という街の中で、その商店街に組み込まれた流れでお店を持った主人公が、商店街に着いて街を移動する。ついには街の外れまで商店街がたどり着くと、その先は何もない平原。 「この先は県境越えだよ」「君はここで店じまいにしてはどうかね」 これだけのセリフで言い表される世界観の広がり、その如何に味わい深いことか…。たまらん…

ホテル・ローレルの渡り鳥たち

www.kadokawa.co.jp

数ページ読んだだけでずっしり脳に刺さる絵のうまさ。うおー、ハルタだ!青騎士だ!という気持ちにさせられる漫画です。漫画の上手さは静と動とがあると思っていて、ここまで挙げているのは特に静の絵作りが上手い漫画です。構図、キャラクターの衣装などなど、とにかく描きたい絵があってそのために作ってるんだろうな!という気持ちにさせられて脳が喜んでしまう。

モノクロでの絵の描き方がめちゃくちゃ上手いのが、イラストレーターじゃなくて漫画家だなぁと感心させられる。とにかく気持ちがいい一枚絵を見続けたい時にめちゃおすすめしたい作品です。もちろん、ストーリー自体も面白いので漫画として十分に魅力があると思いますよ。 双子のチャイナメイドとメンヘラバンギャがめっちゃ可愛いんすわ…。

CHILDEATH

younganimal.com

動の漫画の話もしましょうか。子ども以外全員死滅した地球で、大人(になってしまった子ども)を狩り続ける「魔女」と呼ばれる化物と戦う子どもの漫画です。戦闘シーンのパワーが半端ないのと、容赦なく血も出る体も弾け飛ぶでどんどん子どもが死んでいくのが非常にモラルのないアドレナリンが出て良いです。

現象、事象ごとにその名前を冠する魔女がいて、それを全員ぶち殺すまで止まらないぜとベレー帽被った女の子が戦いまくるっていうのが趣味出てていいですよね。まどマギでもあるしチェンソーマンでもあるのかもしれない。 子どもが子どもとして生き続けるために脳をいじって全員廃人にしてしまうことで死を避けるっていう集団が出てくるあたりがたまらなかったですね。どこまで悪趣味をフルスイングし続けられるのか、今後が楽しみです。魔女のデザインがイケてて2倍おいしい。

レ・セルバン

bigcomicbros.net

王道でありながらも、今となっては若干コアになりつつあるジャンル、中世ファンタジーです。魔物に国を壊滅させられた王様が記憶を無くした娘を守りながら魔物に復讐するってストーリーです。この血生臭ささえも王道が香って非常に良いです。ロン毛振り乱して、ムキムキのおじさんがクソでかい斧振るってる男臭さが逆にお洒落に見えてすらくる。

魔物のデザインの懐かしさ(読んだら伝わると思う)、話の暗さとか含めて、ベルセルクの系譜ではあるんですが、ダークファンタジーと銘打てるような重厚なものはあんまり見ないのでこれは貴重です。絵もかっこいいんですよね。

カラーレス

comicborder.com

いやー、終わっちゃいましたね。カラーレス。みんなもっとこの漫画の話をしてほしい。弐瓶勉がこんだけ売れた今なら絶対もっと刺さる人多いでしょ、と思ってたんですけど。でも走り切ってくれて良かったです。

色が無くなった世界で「色」自体が力である、というストーリーで、「色」が出てくるページだけカラー印刷というなかなか力の入った漫画です。「色」を再度集め、世界を掌握しようとする「教団」、色を奪われる過程で異形化していった人類、「色」を研究し、自身の力としながら戦う仮面の主人公、唯一人間の姿を保っている女の子。

全ての設定がキッチリ言語化できて、それだけでなんとなく面白そうなのが伝わる。根本がしっかりしてるから読みやすいんですよね。女の子の可愛さ、仲間のひょうきんさなど、シビアなストーリーを程よくエンタメにとどめるバランス感も良かったですね。そもそも白黒印刷の漫画で色の有無をストーリーと絡めるってメタ的で面白いですよね。最近新作の1巻が出たっっぽいので読まねば。

千年狐

comic-walker.com

これも一生俺しか話してない漫画な気がする。でも地味に連載長いからちゃんと売れてるんだろうな、ありがてー。中国の古代神話を元にしたファンタジーで、ユーモアの感覚や絵のタッチがちょっと大陸なんですよね。それが新鮮でありながら、でも日本で刊行されてる漫画なので、当然引っ掛かりなく読める、これが良いところですね。特に調べたことないですが、作者は中国の人なのかな?

最新刊の10巻で、ここ数冊続いていた怪談編が終わったんですが、これがめちゃくちゃ良かったんですよねー。良すぎて初めて応援メールを送りました。おそらく全体における話の位置付けとしてはサイドストーリーに当たると思うんですけど、これまでにないちゃんとしたホラーっぽさや人間味、人情などが細やかに描かれていて非常に満足度高かったです。ずっと好きな漫画なので本屋で新刊見つけるとキモいくらい笑顔になっています。

太陽と月の鋼

bigcomicbros.net

前作、累で一世を風靡した松浦だるま先生の新作。累に関しては絵のタッチがちょっと合わなくて読んでなかったんですが、どっかでチラ読みしたこっちはめちゃ好みだったので買い始めました。独特の荒さと風合いのあるタッチで、今思うと高橋葉介水木しげるあたりの影響がかなり大きいんでしょうね。だからこそ、今回の時代劇ものは絵のタッチと世界観がよくあってるように思います。

これもカラーレスと同じく設定のぶっとさがすげーなと思う作品です。武家なのに刀に触れられず、没落していく主人公と、そこに突然現れ妻になった謎の美女、しかし美女は陰陽師に連れ去られ、それを追いかけ次々現れる敵と戦う。分かりやすいんだけど、この作品でしかないフックがあるのがいいですよね。 直近までやっていた天朸編がかなり良かったのでそこまで読んでほしいです。面白いのですぐだと思います。イタコの明ちゃんがめっちゃ可愛い。

アウトサイダーパラダイス

comic-action.com

ほんまありがとう、ほんまに。ほんまありがとう。 あそびあそばせの実質続編。あそびあそばせではバカ3人のあそ研が主人公でしたが、今作は新聞部、美術部の先輩チームが主人公です。先輩チーム全員超好きだったのでマジで嬉しい。こんなユーザーニーズに応えるものがあっていいのか。

先輩チームは全員半分サイコで、あそ研にはないジメッとした人間関係があって、関係性のオタクの頭がおかしくなりそうになる。基盤としてギャグ漫画であることに変わりないんですが、質感が湿度高すぎて、あと全員サイコだからなんか全部ギャグも怖いんすよね…。笑っちゃうんだけどめっちゃ緊張感を持って読む独特の作品です。急に誰かが人殺しても驚かない怖さがある。

天レストラン

shogakukan-comic.jp

今年のキャラデザ最高で賞、大賞受賞、おめでとうございます。ウエイターの女の子のキャラクターデザインが凄すぎるんですよね。死んでるので大胆にも胴体が全て骨。実質逆バニーなのに何もセンシティブじゃない。主人公が仕事を手伝ったお礼として、肋骨をブラシで磨かせるというシーンがあるんですが、性癖が出過ぎてて頭おかしくなるかと思った。

死後の世界のレストランで、生前未練のあった魂に必要とする食事を提供して成仏させるって話で、分かりやすいんですけど。温かい食事を食べて、温かい記憶を思い出し、それと共に成仏していく魂を見ると泣けちゃうんですよね。食事って結構人格の根本だよなぁと思わされる。

選外

こんな感じで今年も10作選んでみました。選びきれなかった選外をいくつか載せて締めたいと思います。2024年も漫画読むぞ〜

奇妙で怪異な日常譚!

続刊でどこまで面白くなるか期待枠、ゆるかわいい

ヤニねこ

カスの漫画。カスだからこそ読む価値がある

凛子ちゃんとひもすがら

ほんまよかった;;;;;;;;

ふたりエスケープ

行かんでくれ!!!!100冊続いてくれ!!!!!!

イカ

暗黒か、天福か、もしや暗間胘なのか…?

のあ先輩はともだち。

年に1、2回可愛いだけの漫画が読みたくなります、可愛い純度がかなり高くて良い、脳溶け

見えてますよ!愛沢さん

可愛い枠と見せつつちょっと不穏さが出てきた、2巻買いたいけど本屋にない。取り寄せねば。

メイド拾った

絵柄はサラッとしてるのに感情がデカすぎる

残ってる積みも合わせると130冊くらい今年は読んだ

これは余談なんですが、僕が読書管理に使ってるYomooってアプリがあって、かなりソリッドなアプリでお気に入りなんですが、よく行くシーシャ屋で制作者本人に偶然会いました。デカすぎる感謝を伝えました。