彼のこと

昨日、Twitterを通じて彼の訃報を受け取った。

彼は僕の所属していた音楽サークルの後輩であり、またバンドメンバーでもある良き友人だった(であれたと少なくとも僕は思っている)。

弔意をどう示すことが正解なのかわからないまま、Twitterを眺め、僕と同じようにして彼の死を知った友人たちの言葉を眺めた。何度も何度もスクロールして、友人たちの言葉が表示されるのを待った。

 

人が死んでしまうと、その人の全ての物語が止まってしまう。当たり前ではあるこのことが僕にはとても、底なしに、恐ろしく、虚しく、また悲しく思える。デジタルな現代社会の中で僕らはその時の直前まで緩やかにつながっていたはずで、それゆえにその緩やかなつながりがいとも容易く修復不可能なものになってしまうことにまだ実感が湧かない。

 

更新されなくなった物語はいつしか僕らにとって過去となり、それが決して「現在」へと復帰することはない。さらに恐ろしいことには、少しずつ忘れていってしまう。

そう考えた時、僕は今の僕が思い出せる彼のことをここに言葉として残そうと思った。

せめて文字にすることで、忘れたくないことを書き留めておきたいと思った。

そして、こうして誰でも見える場所に僕の追憶を置いておくことで、同じように彼の喪失を受けた人が、彼のことを思う一端となれば良いと思った。

 

僕が思い出せる彼のことは限られているけど、この文章を通じて友人たちがそれぞれに持つ彼の記憶の導きとなれたら幸いに思う。

 

 

 

彼とは僕が大学2年生の時に出会った。僕のサークルの同期である薫人は、その高校生の頃からの多岐にわたる友人関係で、多くの友人となる人たちと出会うきっかけを作ってくれた。彼もそんなうちの1人で、ある日僕らのサークルにやってきた。

インカレを称していたもののほとんどが名大生で構成されていたうちのサークルに、当時からフリーターだった彼が入ってきたのは少しの驚きがあって、最初は彼が馴染めるのか少し心配をした。しかしそれは杞憂で、彼はその持ち前のマイペースさであっという間にサークルに馴染み、巨大なエフェクターボードとひなっちを思わせるベースプレイでその立ち位置を確立し、僕らのサークルのいちベーシストとしてすっぽりと収まった。

 

彼は当時からMicroTuneというバンドのベーシストだった。同時期に僕は3cm.rhythmというバンドをやっていて、この2バンドに加えてグッドバイモカの3バンドで当時よく出ていたライブハウスの若手として、シーンの末端でガンバっていた。MicroTuneと僕らが共演することはあまりなかったけど(とはいえ彼らのレコ発企画に呼んでくれたこともあった)、グッドバイモカとMicroTuneの共演は多かったり、また僕らとグッドバイモカとの共演も多く、この3バンドは友達の友達くらいの距離感でお互いに仲良くしていたし、ライバルでもあったと思う。

 

また、イカリヤマナツバンドというバンドもあって、彼はそこでもベースを弾いていた。このバンドは僕から見ると前述の薫人を介した友人の友人たちの集まりのようなバンドで、現:猫を堕ろすのボーカルであるなっちゃんを中心に、現:Suspended 4thのサワダたちが脇を固めるバンドだった。

 

彼は断らない性格だったのか、とりあえずやってみよう精神だったのか分からないけどとにかくいつもいくつものバンドを抱えていて、まさに音楽の中にあった人間だったと思う。

 

彼がサークルに入部してから遅れること約一年、サカヱというやつがまた学外から僕らのサークルに入ってきて、彼らは蒼い芝生というバンドを結成した。このバンドは特にエネルギッシュな活動をしていて、名古屋のオルタナ界隈で見る見るうちに知名度を獲得していった。その才気には同じバンドマンとしての羨望やわずかな嫉妬を感じながらも、僕は彼らのライブによくいる1人の観客だった。サカヱの音楽には揺るがないオリジナリティがあったし、そこでベースを振るう彼もいつになくソリッドでイケていた。

 

もちろん、サークルの一員としても彼は忙しく活動していた。まめにライブがあった僕らのサークルでもほぼ毎ライブ何かしらのコピーバンドをやっていたし、飲み会にもよく来ていた。ヘラヘラとよく笑う彼とはたくさんのくだらない話をしたように思う。

 

さらに一年ほど経った。その頃僕はポストメタルという音楽に傾倒していて、当時よく3cm.rhythmを企画に呼んでくれていたイベンター、竹山さんとのポストメタル談話の中で出た「山の稜線にそびえ立つ鉄塔はポストメタルの象徴的な風景である」という会話にインスパイアされtettohというバンドを組んだ。そこに彼をベースとして誘った。

彼のエフェクティブでエッジーなベースプレイは僕のイメージの中のポストメタルによくあっているように思えた。ほぼ二つ返事で彼はtettohに入り、のちにもう1人ベースが入って4人体制になった頃にはそのエフェクティブなベースプレイでベースとギターの中間地点を担う立ち位置を確立した。

 

その頃には、彼はサポートでの参加を含め多数のバンドに籍を置いたり足跡を残したりするようになっていて、半ば冗談で「お前の組んでいるバンドだけで企画が打てる」というような話をよくしていた。名古屋には同じようなスタイルで多くのバンドに参加していた名ベーシストがいて、その人の参加バンドだけで固めた、FUNAHASHI IS DEADという企画をやっていた。

それにインスパイアされついに彼はKOBAYASHI IS DEADを敢行。蒼い芝生、Suspended 4th、イカリヤマナツバンド、MicroTune、tettohで彼は1夜5バンド出演を果たし、白装束でベースを振るった。その日は僕の知る限り一番新栄DAYTRIVEがパンパンになった日だった。100人入ったという話があったような。この日は僕の記憶に残る「楽しい音楽があった日」の一つに数えられるとても楽しい日だった。

 

彼には多くの友人がいて、音楽とは直接関係のないところでも人の輪が生まれ、僕も彼を通じてそこに加わり酒を飲んだり、飲み明かした朝に味噌汁を作ったりした。僕が東京に引っ越してからもこのメンバーは定期的に集まって遊んでいて、東京から羨ましく思っていた。

 

ここから更に1年ほど。彼はサークル内でqulague.を結成。彼なりの遍歴を経た結果のような、マイペースながらも着実に自分たちのやりたいことを形にする、そんなバンドだと僕は思った。qulague.は幾度も自主企画を打ち、その企画はいつも「自分たちの好き」の中にあって、県外にまたがる音楽のつながりを作っていった。

 

もうその頃には僕はサークルを卒業し東京に居を移していた。彼もサークルを卒業した。彼は変わらず音楽活動にエネルギッシュで、qulague.に並行して、Sedwigでもベースを弾き始めた。Sedwigは僕が同期のしじゅんとやっているcllctv.のイベントに出てくれたバンドが母体になってるバンドだったりして、違うコミュニティにいる友達と友達が友達になったような不思議な温かさを感じた。

もう彼は名古屋のシーンでベーシストとしての立ち位置を確立していた。

コバヤシ、バヤシコ、コバさん。それぞれが思い思いに彼の名前を呼んだ。

 

そこからも、名古屋でtettohのライブがあった日は彼の家に泊まったし、つい半年ほど前、2020年の10月に仕事の休みを取って名古屋に遊びに行った時も彼と酒を飲んだ。定期的になんとなく会って話したい、そんな関係だったと思う。彼とは音楽の話も好きなアニメの話も好きなVtuberの話もしたし、趣味が合う面も多々あった。

 

また次はいつ飲もうか。緩やかにそれが続いていくと思っていた。

 

人の道のりが終わることは、なんというか、とても空白だ。健やかに生きていかねばと思うし、みんな健やかであって欲しいと思う。

 

小林へ

また今度が果たされないのは寂しいよ。