MFT#013 特別展「縄文―1万年の美の鼓動」図録

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2018年に東京の国立博物館で開催された、縄文土器を一挙に集めた特別展示を見に行った際に購入した図録。

 

東京に引っ越してきてからするようになったことはいくつかあるけど、その中の一つとして、博物館、美術館に行くというのが挙げられる。これは本当に東京に来て驚いたことなのだけど、老若男女問わずかなり多くの人々の間で、休日のレクリエーションとして博物館、美術館が選択肢としてある、ように感じる。これは映画館で映画を見るという行為にも同じことが言える。

つまるところ人が集まるところには文化的資本が集うし、結果住まう人は文化的に豊かになるのだなと思わされる。小さい頃は都会よりも圧倒的に田舎派だったし、今も田舎の良さは分かるのだが、単純に同じ年数で経験できるものの量が違いすぎて今は都会から離れられない。単純な積み重ねはいつでもその気になれば挽回可能ではあるけど、その環境にいなかったことに対する「出遅れ」感は必ず付き纏う。子どもは都会で育てるのもアリなのかも知れないなと思ったりもする。

 

さて、この特別展なのだが、少し特殊なきっかけで足を運ぶことになった。僕が2018年に入社した某ウェブマケ企業には本当にいろいろな人がいて、その中でもディレクターばかりの部署において一人だけエンジニア、いつも長髪を束ねパーカーとクロックスで出社してくるという人がいた。その人は40近いし子どもも二人いるのだけど、ちょっと驚くくらいバイタリティに溢れていて、感性がとても若い。僕ら新卒にも実に軽率に声をかけてくれ、遊びに行ったり飲みに行ったりするような人だった。飲みに行ったら行ったで「愛とは何か」を無限に語ったり、とにかく僕が学生の頃によく友人とやっていた、何のことないテーマをひたすら論じる、みたいな酒の飲み方が社会に出てからも出来る人がいることに喜びを感じた。

 

そんな人からある日突然、「縄文土器を眺め、当時の人々の感性に想いを馳せませんか」(記憶をたぐって書いているがほぼ原文)というメールが届いた。それがまさにこの特別展だったのだ。なんか面白そうだったので二つ返事で参加表明し、当日はたまたまやっていた東京藝大の学祭も覗きつつ、僕が個人的に好きなアメ横の地下街も巡ったり。

確か僕含め新卒3人だったか4人だったかとその人で、本当に誘い文句のまま、一つ一つ土器を眺めながらこの模様はどうやって作ったかとか、どういう気持ちでこの模様を生み出したのかとか語りながら展示を巡った。実は僕はこういう展示を真面目に巡る、ということが非常に苦手で(傍目から見た「ガチさ」を想像して恥ずかしくなってしまう)若干会話を遠巻きに眺めながらではあったのだけど、それでもとても楽しい時間だった。

 

そしてミュージアムショップにて図録を見つけ購入。大人になって思うのだけど、これだけ貴重なものの写真と専門家の知識が結集した書籍がたった3、4000円で買えるというのは本当に価格破壊だと思う。信じられない安さである。しかもだいたいこの手の図録はサイズが特殊だったり表紙に加工がしてあったりデザインが凝っていたりと、非常に所有欲も満たされるものが多い。とりあえず迷ったら買ってしまうべきだとすら思う。

だから、撮影可能とはいえ、展示一つ一つの写真を舐めるように撮影しながら博物館や美術館を巡る大人を見ると、なんだかさもしいなと思ってしまう。もちろん、何にいくらお金を出すかはその人の勝手だし、写真をたくさん撮る理由がある人もいると思うので一概に言うべきことではないのだが、チケット代ぽっちで必死になってパシャパシャ素人写真撮って元取った気になって帰って、そこには何が残るのだろうなとは思う。

 

愚痴みたいな結びになったけど、せっかく文化資本のある場所にいるのだからたくさん文化に触れ、そこに継続の願いを込めてお金を払って行きたいなとは常々思う。