20210117_近況

最近はお笑い関係のテレビ番組を見ることが多くて、僕も奥さんも空気階段のファンなんですが、今日「笑った顔がもぐらと似ている」と言われました。コメントは差し控えたいと思います。

 

昨日これを読みました。

https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594

 

鬱病と長く向き合い続けた主人公の寛解までのストーリーで、読んでいてとても心の整理ができたものでした。これに出てくる寛解のきっかけとなる某先生が結構怪しい商売をしているとか、案の定付随したきな臭い情報が出てきたんですが、この作品自体の持っている説明力自体はとても素晴らしいものがあったと思います。

 

心の整理と書きましたが、先週くらいからもう僕の心は不安でぐちゃぐちゃになってしまっていて。

きっかけは仕事の難しさと責任が急に跳ね上がって、見えている壁のあまりの高さに眩暈がして感情が制御できなくなってしまったことでした。その実態が明らかになった日は本当に絶望的な気持ちになって、上司と通話で今後の展開を整理しながら、不安で流れ出てくる涙を止める術がなくただたださめざめと泣いてしまったくらいです。

この不安は今までに感じたことのあるものよりもずっと急でとても大きなもので、僕の守るべきの週末にも影を落とし、出かけようにも家にいようにも翌週以降の仕事のことが心配で心配で、ずっと不安で泣きそうな気持ちだったんです。

 

そんな土曜日の夜に冒頭の漫画を読みました。読み進める中で次第に自分の中の不安が整理され、それが何かしら第三者的視点で相対化して説明できるもののように感じることができました。そう感じて僕は、ここ半年で一番たくさんくらい、奥さんと今抱えている不安の話をしました。彼女は気づいていなかったようなのですが、僕はここ半年ほど漠然と感じ続ける不安を言語化できず、それを発話できず家の中であまり会話できてなかったんです。

 

気づいたことは不安とは、不安によって芋づる式に、雪だるま式に膨れ上がっていくものだということでした。どこかで生まれて僕の心の奥底に居座る不安の種は、気づけば色々な要素の不安を巻き込み肥大化し、ついに原因を突き止めることのできない、「かたちのない不安」になっていたんです。そして、かたちがないだけに対処法の見つからない不安が僕を押しつぶそうとしていた。そういう現状に気づくことができました。

不安という感情はとても不安定なもので、すぐにひっついて膨らめるための欠片を探しているように思います。それを抑えるためには結局自分で一つ一つ、不安の種や欠片と対話していくしかないんだと気付かされました。

深く息を吸い、吐きながら今の自分の置かれている状況を整理し、それをこなした後の「強くなった自分」を想像すること。これが出来るかどうかが大きな転換点になるのだと悟りました。

不安と相対するまでの僕は、誰よりも不幸で、誰よりも苦境に立たされていると思ってました。でも本当はそんなことはないんです。それは、自分よりも辛い人がいるとか、誰しもが辛いとかそういう感情の評価ではなく、単純に自分に降り注いでいる苦境も歯を食いしばって向き合うことで少しずつ、そこから生まれる不安の種を小さく出来るということなのだと思いました。

慎重に自分の状況を分析すれば、自分は全てにおいて孤独に戦っているわけではないことに気付かされました。僕は仕事においてクライアントと相対するある領域における最高責任者になってしまい、その重圧に一度押しつぶされてしまったんですが、それも本当に一人で戦わなければいけないわけではないんです。きちんとチームがあって、確かに自分は矢面に立っているけど、それを後ろから見てくれている人がいる。そんな人を十二分に頼って自分の不安の種を最小化しながら、でも当たるべきところには歯を食いしばって当たる、そうして乗り越えていくしかないのだなというある種の悟りというか理解を得たことで、押しつぶされそうだった不安は、なんとなく自分の心の奥底に横たわる程度のものに変わりました。

 

まだ日々が不安なことには変わりないです。なぜか日曜の夜に来たクライアントからのメールはまだ怖くて開けていないし、正直明日が来るのは嫌です。

でも寝て起きたら明日は来るし、時間は一方向に流れるので必ず向き合うべきものは終わるんです。そう思って今は、向き合うべきものと戦い終えた後の自分がどう変われるか、これを想像しながら目の前のことを一つずつこなしていこう、そういう気持ちでいます。

不安の種は世の中あらゆるところにあるけど、それを一度落ち着いて視点を変えて向き合って実態を掴むこと、これを続けていくしかないんですね。本当に人生って難しいなと思いました。