20200719_近況

東京都におけるコロナウイルスの感染者数は確実に増加している。

という数字だけの現状において、確実に加味すべきなのは、何人に検査した上での何人なのか、そもそも検査対象はどう選ばれているのか、という点であり、そこをあえて見ないフリをする煽り方は非常に不健全だと思う。ただ、死に至らずとも、重症やそれに準じる症状による後遺症の話も取り沙汰され始め、依然戦いは続けなければならないのだろう。

 

コロナウイルスが世界を脅かし始めて半年弱経っているけど、僕は正直今が一番世の中が淀んでいると思う。緊急事態宣言という右向け右が発令されたときは、間違いなく緊張感こそ高まったものの、強制力の強いところからの話であっただけに、ある意味で世間に一体感はあったのかもしれない。

今は違う。国によって明確な指針は示されず、数値は人の恐れを増長させ、人一人、そのそれぞれが自らの意思で持って事態への対応を余儀なくされている。そもそも専門家でもない一般人にするべきことが分かるはずがない。その結果、人々はみんな自分の宗教を持って行動せざるを得なくなり、それは衝突する。今はまだ臨界点に達していないギリギリのその空気感が、世に赤黒く渦巻く不安をもたらしているように思う。張り詰め続けて本来のハリを失ってしまった弦は、いつどう切れるかわからない緩んだ不安を持ってしな垂れてきている。

 

つい最近、コロナウイルスのもたらす影響をかなり身近で感じる機会があった。

来週はいとこの結婚式があり、自分はそこに出席予定だった。そもそもがウイルスの影響で一度延期になった式、先ずは開催されることが素晴らしいことであると思いながら。

昨日、父親から電話があった。申し訳ないが、行かないでやってほしいというものだった。仕方ないことだなと思った。こんな状況だし無理もないなと。父親は続けた。「自分が東京へ出張したことで、同じ家に住む曽祖母が通っているデイサービスを控えることになった」と。これには少しだけ心がざわついた。初めて、コロナウイルスに、東京に、向けられている視線の厳しさや鋭さを感じた。これだけ世間で騒がれていても、身の回りに感染した人がいたわけではなかった現状、自分に直接的な実害がなかったために、その影響の大きさを認識できていなかったのだと思った。それほどにこの感染症は危険視されているのだなと実感した。

 

この二つの出来事に関して、今の東京に向けられる視線について、僕は異論を挟む余地はないと思っている。みんな方針が見えない中で、守るべきもののために取るべき行動をしている、という事実があるだけなのだと思う。でも、電話越しでも無念さを感じた父親の声には、最大限に配慮した行動をとったこの人に、それでも下された結論には、歯痒さに似た感情を感じた。

こんな、形にならない漠然とした不安が世の中には蔓延している。

 

重ねて自分に言い聞かせたいのは、今の状況は個人の判断によって動くしかないというものであり、それ故に人の選択を否定することは決してすべきではないということだ。自分も、全ての行動が感染症に対する模範的なものではない。これからもそう行動していくのだと思う。それは非常に利己的な話ではあるのだけど、自分自身の健康を、平衡感覚を守るための方策なので、そうしていくしかないのだと理解してもらいたい。

 

気持ちがぐらついたので、酒を飲みに行った。たまにいく馴染みのその居酒屋は、今でもタバコが吸えて安心したけど、次亜塩素酸水がずっと噴霧され続けていて、そのにおいで少し頭が痛くなった。今は一見お断りで、なるべく人を絞ってリスクを抑えながら営業を続けているらしい。ここにも一つの選択があった。次亜塩素酸水の噴霧に文句をつけるのはあまりに軽率に思えたのでやめた。深酒しすぎてしまい、吐き散らす友人の片付けをして、家に帰った。酷く飲みすぎてしまった。起きてから今まで、ずっとひどい頭痛がする。