20200805_近況

先の週末は六本木の新国立美術館へ行った。ディスジャパのかわむらさんがツイートしてた企画展示の内容が結構面白そうだったので、なんとなく行こうかなという気になった。ここ最近、土日のちょうど良い予定がなくて家で食いつぶすことも多かったので、そういった罪悪感から逃れる手段としても、美術館という場所は、静かで、求めるもののなく、充足した空間である。同居人と出かける機会もあまりなかったので、二人揃っての気分転換も期待した。

 

僕は毎回美術館に行く時は、見た目通りに捉えることを念頭に置き、作品を鑑賞しているような気がする。ブックレットの解説を読み込んだりするのはあまり好きではない。それは制作者以外の誰かがつけた考察でしかなく、それに沿って作品を鑑賞することは時に制作者の意図とは異なるものになる可能性を秘めているから。

というのは格好をつけた理由であって、本当のところ、美術品をがっつくように鑑賞する、そんな姿勢がなんとなく馴染まないだけだ。

 

美術館にいる時間というのは、僕にとっては普段以上に自分と向き合う時間でもある。作品を見るという行為を通じて、自分自身に対して無限に問いや連想が生まれ続けるので、それを一つ一つ潰して心をデフラグしていく、そういう時間になりがちだ。

僕の脳みそはおそらく一般的なレベルよりも連想能力に長けていて、時に邪魔なほどに暴走もする。動物園でパンダを見たとして、その数秒後にはパンダの模様に端を発する生き物の保護色、白と黒の膨張色などなど関係のない話題に思考が飛び火し、モノを見つつも脳はそのモノを見ていない。

 

美術館という場所は作品への没頭に専念するために空間が構築されており、寡黙にして語らず、包容力がある。あの空間は自分のまとまりきらない思考の発散を受け止めてくれるようで不思議と安心感がある。それは病院の淡々とした白い壁にも同じことが言え、だから僕は昔から病院が好きだ。

 

ここまでは良かったのだけど、そのあと給付金の使い道として槍玉に上がった新しい冷蔵庫を探すために家電量販店に行くことになり、これは非常に疲労を招く作業だった。

家電屋で家電を買う以上値切りは世の常なので、人並みに交渉し、時に店員のセールストークに耳を傾けながらとやっていたら2時間3時間と時間は過ぎ、まったくもって疲れ果てた。

ちなみに僕は店員のセールストークには割と肯定的で、店員がこれの方がいいというのであれば割とそちらを買うことが多い。金銭的な制約が厳密ではないのもそうだけど、単純に自分より詳しい人の言うことは聞いておこうというだけの話でもある。知恵者にはいつも敬意を持って接するべきだ。

そんなわけで6桁円の商談をまとめ、そのストレスを発散するかのように大量に漫画を買い込み帰宅。疲労による頭痛と闘いながら月曜日を迎える。

 

 

さて、実は先週の半ばから精神的な体調が芳しくなく、一度先週の火曜日にそのつらさはピークを迎えていた。自分の中での閾値はなんとなく感覚として持っており、火曜日の仕事中に焦燥感に包まれ仕事の話がまったく頭に入らなくなった時がそれだった。即座に翌日の午前中に心療内科を予約し、なんとかその日の業務を終えた。仕事の後、夕飯を食べているあたりで一気に身体の血の気が引いて肌寒くなり、気持ち悪くなるという状態に陥り、翌日に病院を押さえた自分の感覚に感謝した。

久しぶりの通院だったが、処方された薬は変わらなかった。一度効いた薬を再度使うのがベターだという判断だった。その日から平日の朝はスルピリドを2錠、夜寝る前にリポスミン(Amazonで買える抗ヒスタミン系の睡眠導入剤)を1錠飲む生活。あんまり健康そうではない。

 

前回はこの薬でなんとかなったのでひとまず安心、という気持ちだったのだが、悲しいことに飲んでいてもあまり状態は芳しくなく、昨日、火曜日に、先週と同じような状況に陥ってしまった。「のっぴきならないくらい体調が悪い」と告げた上で、自分が最低限対応すべき業務をまとめ、他の業務は引き継がせてもらい、午後は休みを取った。事前に自分の精神状態についてはある程度共有をしていたので、話は早かった。この手の話は職場では話しづらい感覚も理解できるが、体調が悪いの言葉だけで全て乗り切るのには限界がある(精神的な不調は休まないまでも日々の業務に悪影響を及ぼすので)ため、受け入れられる空気があるのであれば話しておいた方が楽だとは思う。

念のため今日も休みを取ってもいいといってもらえたので、その言葉に甘えて今日も休んだ。寝て、食って寝て、ゲームしてたらだいぶ気持ちが落ち着いてきた。

 

自分が特別身体や心が弱いという認識はこれまで持ったことはない。いつでも自分より辛い人間はいる、自分は今動けているので健康だ、という思想で乗り切ってきた。のだが、最近実は自分は精神的にあまり強くない人間なのだということを認識し始めた。よく考えたら身体も別に強くはないな。正直、同じ会社の中でだけで見ても、今の働き方で体調を崩さず僕よりたくさん働いている人間が大量にいる事実はなかなか信じがたい。何故こんなに辛いのにみんな平気なのか。となると回答は一つで、みんなはそんなに辛くないということになる。それすなわち、自分があまり丈夫でないという解が得られる。

 

今こんな感じでギリギリ着水くらいの低空飛行の日々ではあるが、問題なのはこの日々の終わりがまだ見えていないこと。しばらくやってダメならもっと強い薬を探さねばならないのだろうな。こればかりは仕方ないので頼れるものに頼ってやっていくしかない。それでもやっていくことに自分の価値はあるとまだ思えている。