MFT#021 『よるくも』漆原ミチ

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それなりに漫画は数を読んでいる。無趣味を公言して憚らなかった父親だが、唯一漫画だけはそれなりの蔵書を持っていて、父親が少年期から買い集めていたであろう漫画がたくさん家にはあった。僕は記憶を辿りうる限りの過去から一貫して根暗だったので、父親の留学について行っていたアメリカから帰国し、物心ついた状態の自宅で初めて目にした漫画の壁に心惹かれ、一心不乱に読んだ。少年向けのものから少女漫画、青年向けの過激なものまで幅広いラインナップだったが、おおよそ四桁ほどの蔵書を小学校に入学する頃にはほぼ読み終えていた記憶がある。その大量の漫画が今日の僕の精神性の根幹を作っていることは間違いない。

 

さて、父親の蔵書に加え、自分でも父親と同じ数かそれ以上の漫画を買い集め読んできた僕が、胸を打たれたいくつかの漫画、その一つが『よるくも』である。漫画好きの人間はブックオフIKKIコミックスの棚を物色するのが常であり、それは音楽好きがブックオフの100円コーナーで紙ジャケを見つけて色めき立つことや、polyvinylのロゴを見つけてとりあえず買う所作に似ている。この漫画もそんなIKKIが送り出した名作の一つである。

 

「街」、「畑」、「森」。高層化した都市の暮らしは、その階層構造により人々の生活や地位を位付ける。「畑」の食堂の看板娘であるキヨコは貧しくも明るい暮らしに満足していたが、「森」から来たものを知らない大男、よるくもと出会いその生活は一変する。居場所を奪われ、家族は殺され、抗えない大きな流れに翻弄され壊れていくキヨコと、キヨコの失われない清潔な強さに触れ、使い捨てでないヒトとしての在り方を知っていくよるくも。破滅的な世界の中で、人の根底の生命力や生への希求を描き出した怪作。

 

漆原ミチ先生の描く人々は、一様にして壊れた何かを持っていて、その根幹に削り出された生命力が宿っている。飢えに苦しみながらも獲物を見据えて爛々と目を輝かせるケモノのような、人間の動物的本質が描かれ、荒いタッチながらも読めば読むほどにその絵柄の芯にある美しさに惹かれていく。

派手ではないし、暗い漫画ではあるが、僕が大学生の間で読んだ漫画の中で間違いなく一番自分の心に刺さった漫画だった。この人にしか描けない漫画なのだ。絶対に交換可能ではない。アーティストはみんなオリジナルではあると思うし、こういった表現を使うことは憚られるのだが、それでもそう言いたくなる完成された世界がそこにある。

 

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ちなみにだが、同じく僕の人生に大きな影響を与えている漫画に漆原友紀先生の『蟲師』がある。そう多くない苗字の漫画家に人生2度も大きく動かされているのはなんとなく因果なものを感じないでもない。