【近況報告】休職から復職、現在に至るまで

前回休職を決めた直後くらいに近況をこのブログにまとめて、気づけば4ヶ月くらい経ったわけですが。

とりあえず直近としてはなんとか復活(部分的にそう)し同じ会社で引き続き働いています。

日常って意識しないと水が低きに流れるように何もしない方向に進んでしまい、記憶を記録にしないと何も残らないのでブログ更新しよ、と思いました。

休職してから現在に至るまでをいくつかのフェーズに分類して書いていこうと思います。

 

ほぼ寝てた期

休職直後から2月末までの1ヶ月半ほどの期間を指します。

 

社会が怖くなってしまって仕事を休み、病院にかかった僕には順当にうつ病の診断が下されたわけですが、そこで言われたことは「今はとりあえず何も考えず寝ること」でした。この時期は自分を精神的に圧迫していた仕事から逃れられたという開放感が強く、ある意味で何もしない休みの期間を満喫できていた期間と言えるかもしれません。朝起きたらリビングに行き、ソファーに横になりYouTubeを見て、昼飯食って、またソファーに横になりYouTubeを見て夕飯食って風呂入って寝る。基本はこれの繰り返しでした。

 

この時期は回復期とも呼べるかなと思っていて、ただゆるやかに猫のような生活を送っていました。それゆえにあまり記憶のない期間です。ただぼんやりと、ソファーから眺める日が差す窓辺の記憶だけが橙色に残っている、そんな時期です。

 

リハビリ期

3月から復職する4月半ばまでを指します。2月末で傷病休暇と有給をほぼ使い切った僕は、しかしそれでもまだ休むべきとの診断を医者から受けて、「休職」のフェーズに突入しました。

 

休職って、ただ仕事を休んで無給(厳密には手当金が出るので無給ではない)になるだけかと思いきや、ものすごく煩雑な休職のための手続きがあって、それらがものすごく僕の精神安定に悪影響を及ぼしました。休職をきっかけに社会から零落してしまうのではないかという不安が妙な具体性を持って降り注ぎ、強い焦燥感に苦しむ日々だったと記憶しています。

 

僕の会社には復職後の時短勤務等のシステムが用意されておらず、休職期間中に自力でリハビリを行い復職可能であることを示す必要がありました。これは焦燥感に苛まされる僕にルーチンという名の逃げ場所を与えてくれ、リハビリ自体は面倒だったものの、疑似的に社会活動を行なっている感覚は僕に幾分かの「帰属する安心感」を与えてくれました。

 

リハビリは2週間必要で、それを3月の下旬に無事終え、産業医からも復職のGOサインが出、いざ4月から復職と意気込んだものの、実際に復職できたのは4月中旬。復職のためにはまた煩雑な事務手続きやその一つ一つの間の待ち時間が発生し、その結果生まれた無為な数週間。この無為な数週間は僕に再び焦燥感をもたらし、つらい時期でした。

 

復職後から現在

4月中旬から今現在です。

復職に際して、僕には新しい案件が割り振られました。その案件には僕が以前客先常駐をしていたときに一緒に働いていた人たちがいて、他にも一緒に仕事をやってみたいと思っていた人もいて、人に恵まれている安心感がある場所でした。とりあえず復職して2-3週間は社会に無事帰って来れたことに対する安心感を強く感じ、そこから生まれた自己肯定感で波のあるメンタルを押さえ込んでいたように思います。

 

しかし、一時的な安心感に慣れてきた頃また、不安が襲ってくるようになりました。人間は一度精神的に強めのつまづきをすると、その感覚を身体が覚えてしまうようで、精神的なストレスに極端に弱くなるように思います。以前はやってみますの一言で引き受けられた仕事が不安で受け取れない、なんとか受け取っても漠然とした不安に押しつぶされそうになる。「うつ病以前」の自分とのギャップに苦しむことが多いです。あと、シンプルに頭の回転が悪くなりました。仕事の話が全然頭に入らなくて、説明を受けても理解出来ず黙り込んでしまうことも多くなり、明らかに劣化している自分の能力にとても悔しい思いです。こうして今も文章を書いていますが、ずっと靄がかかった思考で筆を進めている感覚です。

 

今はただ、そんな自分を受け止めて、以前より歩みが遅くても、一歩ずつ進めている実感を噛み締めることで社会にしがみつくしかない、そんな時期だと思います。社会への帰属は自分の精神の安定性の一番ベースの部分を底上げしてくれる重要な要素です。休職して貯金を切り崩して生活する日々は本当に落ち込むものでした。社会への帰属の報酬として生活のための賃金を受け取る、このサイクルに自分を組み込むことが自分の精神的安全を保証する重要な鍵となると思っています。だからこそ、またそこから零れ落ちることが本当に怖い。そうならないように致命傷を回避して生きる、そうするしかないと思っています。

 

今回仕事を休むきっかけとなった案件の上司に会う機会がありました。「ある程度無茶振りをしている自覚はあったけど、なんとかやれると思って任せていた」と伝えられました。それを聞いた時ただただ虚しさを感じました。もっと上手く周囲に頼っていれば、もっと仕事に対して気楽に向き合えていれば、こうなる前に自分のしんどさを説明できていれば、いろいろ思うことはありますが、過去を問うのは是非のないことです。ただ、結果として残った「うつ病」という傷にはやり場のない憤りがあります。

 

僕がずっと信じて生きてきた「約束された人生の成功」は既に一度梯子を外された感覚があります。今僕に出来ることは地に這いつくばってなんとか生きることです。自己実現のために邁進できるほど、まだ僕の心の凹みは回復していないように思います。今はただ粛々と、「できない自分」と向き合い生きていくことだなと感じます。

以前に熱中してたこと、好きだったこと、ほとんどその熱意を失ってしまいました。それを取り戻すべく、残ってる手札を探し回る日々です。

 

P.S.

先週友人に連れて行ってもらって久しぶりに山に登ったんですが、とても気持ちが良かったです。多分、山に登っていればうつ病って治るんだろうなって思いました。

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