MFT#009 『エヴォリューション』

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2015年にフランスで公開された、ルシール・アザリロヴィック監督によるホラー?映画。

日本にやってきたのは2016年とかそれくらいだったような気がする。伏見のミリオン座で見た記憶。

 

僕は正直映画はほとんど疎くて、生まれてこの方映画館で見た映画もおそらくギリギリ両手の指で数えられるくらいしかない。田舎に住んでいた僕にとって、映画館という場所はとても特別な娯楽施設で、年に一回かそれくらい親と車で出かけることで辿り着けるようなそんな場所だった。程度の差はあれど、ファミレス、ゲームセンター、コンビニも似た感覚の場所でいずれも「行く場所」だったので、高校に進学して四日市市に出た僕は、街で暮らす子どもの生活の都会っぽさに目が回った。サイゼリアなんて高校まで行ったことなかったし、ファミレスやコンビニを学校帰りに遊ぶ場所として当たり前のように活用していた同級生はひどく大人っぽく見えた。

中学生になっても学校の帰りに川で泳いでいたような田舎暮らしの人間にとって、それらの娯楽はとても遠いものに思えた。

 

そういう意識が今でも根付いているのか、映画館に行く、あるいは映画を一本見るというタスクは自分にとって大変に励起エネルギーの高いタスクである。人と一緒に行うことでなんとかクリアすることができるほどに。

そもそも多動的な部分がある僕は家で集中して映画を観ることが難しく、マルチタスク的に消費出来る(半分見ていなくても成立する)アニメやYoutubeの動画に時間を溶かすことをしがちである。

 

そんな僕がめちゃくちゃ気持ち惹かれ劇場に足を運び、あまつさえブルーレイまで買ってしまった映画(アニメ映画を除けば)は今のところこれ一本。それがこの『エヴォリューション』という作品である。

https://youtu.be/zaRnsszvMsA

 

この映画、根底にあるものは薄暗く、じめりとしたホラーの感触で、抜けるような爽快さや開放感とは無縁の非常に冷ややかで閉塞的な緊張感を伴った作品である。絶海の孤島、美しい海、簡素で美しい街並み、時折漂う文明の歪さ、それを全てを重厚で濃厚なドローンアンビエントが包み込む本作は、かなり「気持ち悪い」題材かつストーリーであり、非常に退廃的な美しさがある。

登場人物においても、少年、女性以外の個性が排除された個の浮き出ない作りが徹底されており、一貫して風景画を見ているような静かな没入感がある。そして、ストーリーに過度に語るものも、回収すべき伏線もなく、ただただ日常として繰り返される何某か狂気的なものの一部を切り出している。井伏鱒二の時もこんな話を書いた気がするが、起伏のない連続性が創作物において僕が好む一要素なのかもしれない。

 

以前、僕がバイトしていたアジア料理店の店長が、不自由ない生活を送ってきた人ほど、不条理な物語に惹かれるように思う、と言っていたことを思い出す。僕は田舎生まれで、社会的な部分には田舎特有の緊張感こそあったものの、家庭においては何不自由なく恩恵を受け、こうして大学まで卒業して今に至る。なかなか短絡的な発想であるが、それ故に経験のなかった緊張感や不条理に触れることで、なんとなく自分の中のバランスを取っているのかもしれない。もっともそんな大層な話でもない気もする。

 

なんとなく日々に疲れた時や、没入出来る癒しを求める時にこれを見ることにしている。これを観ながら寝落ちたときはよく眠れる。