20200727_近況

風呂出るくらいまでここ数週の中でも稀に見る落ちっぷりだったけど、ゲームやってたらだいぶ回復してきた。何かに没頭することはあかぎれに塗る液体絆創膏程度の効果は見込める。

 

3月末から始まった在宅勤務も早4ヶ月が経とうとしている。弊社はこの先も業務の方向性を在宅にシフトしていくらしいので、もう以前のように出勤することはしばらくないのだろう。

 

在宅勤務、もともとは甘美な響きだった。弊社はやることやっていればどこで働いてても基本問題なしのスタンスだったので、コロナ以前もちょくちょく在宅を活用していた。

仕事は出来るけど、通勤はできない。そういう日はたまにある。通勤できないくらいしんどいなら休めばいいと言われると、それは少し違うのだと言いたくなる。単純に電車に乗れないだけで仕事は出来る。それで休むと逆に申し訳なくなってくるので、働いてた方がいいという話。そもそも電車に乗れない以外は健康だし。

 

とはいえ、完全な在宅に切り替わると話は変わってきて、むしろこの限られた空間に出勤と退勤を繰り返し、振り向けば家、振り向けば職場という生活は、確実に僕の生活を変化させてきているように思う。

 

そもそも思い返せば家で勉強ができない子どもだった。塾に通わせてもらいそこで勉強をする代わりに家では勉強をしない。そういう環境に依存したメリハリの付け方で、自分なりのリズムを構築していた人間だった。

だから、在宅を活用したりもしながらも、その実出勤すること自体はそれほど苦ではなかったなと、この生活が始まって改めて実感した。

 

生活の変化による影響はまず睡眠に出た。もともと寝つきがいい人間ではなかったけど、この生活が始まって一月したあたりから、寝付きの悪さに加えて睡眠が浅くなり始めた。これまでは、僕よりよほど早起きの同居人が仕事の支度をして出ていくまで目が覚めたことなどなかったのだけど、最近は彼女の目覚ましの音で目が覚めるようになった。

とりあえず眠れるようにしないと生活の質が落ち続ける一方なので、アマゾンでリポスミンを買った。以前寝つきが悪かった時期に友人から勧められて以来、自分には合う薬としてそれなりに気に入っており、今も愛用している。平日は1錠、不安な日は2錠飲む。睡眠の成功率が8割くらい上がる。

代わりに寝起きがとてつもなく眠くなる。昼間も少し眠い日も多い。でも飲まないと寝不足で頭痛に悩まされる。なら眠いほうがマシかな。

 

3ヶ月ほどこの生活が続いたあたりから、明確に精神状態への影響を感じ始めた。休日が楽しみじゃなくなり、平日が嫌になった。それまでは、平日は麻布、休日は家もしくはどこか出先という明確な線引きを跨ぐことが自分の精神に適度な刺激を与え、結果双方に対して良い影響をもたらしていた。

また、出社することによって目に触れる乱雑で秩序のない人の動きや声、出来事は、確実に自分の心の中に心地よい波音を作り出していた。

 

ヒトがいるということは、その数だけの価値観や判断に常日頃触れているということである。それはどうなるかというと、例えば、今日は寝不足で眠いなと思った時に、近くに昨日はゲームしてて寝てないと言いながら仕事をしている人がいたり、ちょっと失敗したなと思いながらその背中で電話越しに平謝りする人の声を聞いたりする。自分の状況の判断にシームレスに他人の状況が介在する。

これは知らず知らずのうちに自分自身への内省的な糾弾を和らげていたし、自分の不調を普遍化させていた。

これがなくなってからは自分の変化は全て自分の日々の生活や行動によってしか判断出来ず、バランシングができなくなった。その結果、寝不足で眠いだけで、自分は精神に不調をきたしているように感じるし、集中できない日が続けばさも鬱かと疑うようになった。

僕は周りを見て安心するタイプなので、見れる周りがないのは結構大変だなと思った。

 

今の暮らしはこの10畳と6畳半のふた部屋に癒着している。ほとんど。以前は休日家にいることもある種の新鮮味をもって捉えられていたが、今はもはやデスクに向かうか、ソファーに横になるかの違いしかない。同じ天井、同じ壁、電波に乗って信号に変わり、アナログ性の排除された通話。荒涼としている。

 

墜落するほどではないが、気流を掴み昇るわけでもない。どちらかといえばやや高度を下げつつある。そういう滑空を続けている。