20200913_近況

週末が終わるので晩酌をした。

酒というのはダウナーにもアッパーにもなる嗜好品で、自分の場合主に人と興じるときはアッパー、一人でやるときはダウナーに働く。先の週末、大学時代の友人と酒を飲みに行って日本酒カパカパやってたらかなり調子が良くなり、新宿で電車に乗ってから朝起きるまでの記憶をなくした。記憶をなくすのは過去、大学祭の総打ち上げの日に赤ワインで無限乾杯したとき以来なので、粗相していないかと結構焦ったけど幸い粗相はなかったよう。

大学祭で酒で死んだときは悲惨なもので、鍋に頭から突っ込む、店の前で赤紫色のゲロを吐く、自分の部屋番号が思い出せない、などなど数々の醜態を晒し、学祭の最大のイベントである総打ち上げ後の某公園での夜を徹した無限打ち上げにも参加できずで散々だった。そこから数年赤ワインを飲むと吐き気を催すというオマケまでついてきた。

で、まぁそんな話はよくて、酒に頭をぼやかす効能がある以上、それは様々な働きをするのだなというのが今日の実感。

明日からの平日を見据えた午後10時、まだ終わりたくないけど何かをするでもない気分だった自分に対して、そんな休日と平日とをぼんやりと糊付けしてくれる存在が夜の酒、すなわちささやかな晩酌であった。ちょっとしたつまみと共に酒を嗜み、なんとなくある負の気持ちをぶよぶよしたもので包み込む。これはその実とてもちょうどいい精神と精神の接続の方法なのだと思う。だいたい昭和の大黒柱といえば瓶ビールとテレビでの晩酌を想像するのではないだろうか。うちはまさにそういう父親だったわけだが、今思うとあれも平日ですら毎日ぶよぶよさせなければいけない感情を持ち合わせていたという話なのかもしれない。それか酒以外に楽しいことがないか。

 

あー、どっかの家が洗濯機を回してる音が聞こえる。僕は壁の向こうから聞こえる洗濯機の音に生活感を感じるので結構好きで、むしろ夜中とか全然回してくれていいよという気持ちでいる。全員がそうなら世界は平和なのだが。

 

最近、こまめに飲んでる薬がだいぶしっかり効いてきて、精神が底を割ることが減った。良いのか悪いのか、程よいどうにでもなれ精神とまぁいいや精神が仕事の俺に対する負荷を減らし、なんかぼんやりいい感じの生活が繰り広げられている。そんな生活の中でVtuberの動画ばっか見て暮らしている。アレはもはやなんの意味も持たない「味」だけの集積のような存在で、アレを定期的に摂取するのはもはや食物の咀嚼をやめて日々濃い砂糖水を点滴して生きながらえる暮らしに近い。本質的に意味を持たない。テレビにかろうじて存在していた見ることによる意味、得られる知識のようなわずかばかりの恩恵をも全て捨て去り、完全な無意味の超越的娯楽と化したのがVtuberの動画だと思っている。脳が腐るのを実感しながらその腐り方がなんか気持ちいい人間だけがあの甘すぎる砂糖水をすすり続けることが出来る。ここまで書いといてなんだけど僕は別にアンチではない。沼に深くハマった人間は時に恐ろしいほど自罰的、自省的なスタンスをとって面白がるのを好む、キモキモオタクに化けるという話である。

 

最近レビューも書いてないし、ライブ関連の動きもないし、ツイッターの三十一文字をこねくり回して何か発した気分になるくらいのみみっちい達成感で日々を過ごしている。またどこかでマグロくらいの勢いで泳ぎ続ける自分を取り戻さねばならないと思う。でも毎回泳ぎながら地獄を実感するあの生活に戻るのが吉なのかはわからない。鬼、蛇、何が出るのか。

 

なんかしたいね、と思う最近。ビルが欲しいのでビルを安く手に入れる方法をみんな教えてください。