インターナルミーティングを終えて

昨日、二ヶ月かけて色々準備を進めていた自主企画、Internal Meeting vol.1を無事終えることができた。

この企画のきっかけは、確か10月とかそれくらいに、猫を堕ろすのボーカルの薫人、なっちゃんと僕の同居人との四人で飲んだ時だったと思う(猫を堕ろすのメンバーとは名古屋からの付き合いだが、名古屋にいた頃よりも圧倒的に今の方が家が近い)。 このころの僕は、コミューン(ここでは共通の意思を持った集団的なニュアンスとする)という概念に強い憧れと必要性を抱いていて、特に薫人とはこのあたりの考えで共鳴するものがあり、とにかく自分たちの力で自分たちが楽しい場所を作っていかねばならないのだと、そういうような話を他二人を放っておいてずっとしていたように思う。

とにかく、遊び場に飢えていた。東京という土地は無限に遊べる場所があるが、人の多さによって、個の性はどんどん希釈され、自我を持って遊べるような空間は非常に少ない。結局、どれだけ物質的に豊かでも、求めるものは自分から作り出さねば得られないのだという事実を押し付けてくる街だ。大きな流れに飲み込まれて意思を失うことは避けるべきだと感じていた。「東京」という土地に自分の旗印を掲げなければいけない、という気持ちが日々強くなり、1年半の東京生活でその足がかりをつかみ始めた僕は、東京に自分の居場所を作ることにした。

そういった意味で、今回のライブイベントは今まで僕が主催してきたイベントと趣を異にするものだった。これまでの僕の企画には、出演してもらうバンドのための居場所づくりの側面が強く、彼らの居場所を作るために見にきてくれた人に最高の組み合わせでそれを紹介する、ショーケース的な位置付けのものだったから。しかし、今回は完全に自分の居場所を作るためにやろうと思った。自分のための企画である、他の誰のためでもなく。なので、これまでの企画以上に、自分が今見たい、話したい、もっと仲良くなりたい、というエゴを盛り込んでバンドに声をかけて行った。

僕はいつもライブにバンドを誘ったりするときは、なるべくそのイベントの目的や意思をしっかり伝えようと思っていて、そんなわけなので、今回は「僕が楽しむ、僕のためのイベントを一緒に盛り上げてください」という正直すぎて身もふたもない誘い方をした。まず最初に参加が決まったのは猫を堕ろす。これはもはや薫人と酒を飲んだ冒頭の日に決まっていたことなので、僕の中では共催者という感覚が強かった。そういった信頼も寄せていたので、彼らはトリ以外の選択肢は考えていなかった。残りの5バンドに関しては、出て欲しい!と感じるバンドにほぼ同タイミングで声をかけ、都合がつかなかった1バンド以外、全てのバンド(DJのあまねくん含む)が数日単位の即決で出演を決めてくれた。これは、本当に、本当に嬉しい出来事だった。僕の思う楽しい場所づくりに、この時点で6バンド+1人、総じて20人以上の人間が強く賛同してくれているという事実は、それだけでこのイベントの成功をほぼ確信できたほどに心強かった。

そこからは、フライヤー作り、タイムテーブル決めなど、いつもの自主企画のルーチンに追われつつ、無事ふた月前の11月17日に告知を解禁。解禁ツイートにもそれなりの反響をもらえた。とはいえ、それですぐ取り置きが何十件も集まるようなイベントではなかったのも事実。いつもやるように、周りの友人に直接声をかけ、少しずつ、「遊びに行くよ!」の声を集めながら、それでもやはり12月から1月の頭ぐらいまでは集客のことがかなり不安だった。

ライブイベントはお金がかかるものだ。ライブハウスに払う箱代、遠方のバンドに払う交通費、出演してくれたバンドに払う出演費。基本的にはその全てを入場者×チケット代でまかなうことになる。昔、バンドをやっていた頃はそれをなんとかするために、友人のバンドには少しノルマを持ってもらったりすることも多かった。これは自分がバンドマンだったから、出演してくれる彼らと同じ立場であったから、当事者意識の分配的な思想で後ろめたさを押し込めてできたやり方だった。でもそれから月日は流れ、僕はもう演者ではなくなり、そのようなやり方を取り続けるわけにはいかないと感じるようになった。 結論として、今回のバンドは共催だった猫を堕ろすだけは主催側として条件を変え臨んでもらったものの、それ以外の全てのバンドに対して、集客数に応じた出演費を支払うことに決めた。僕の主催するイベントにおいて、演者が割りを食うのだけは絶対におかしいという気持ちがあった。

この結果として、イベントの収支を整えるためには自分が集客をいかに頑張れるかの部分が非常に大きくなった。これは覚悟して臨んだことであったが、12月下旬ごろにはかなり不安が強まってしまい、精神的に参ってしまった。心臓がキリキリするようなあの感覚は、毎度味わうことになるのだが、その度に2度と味わいたくないと思う類のものだ。一応仕事のボーナスもあり、自分が割りを食うことになっても、最高のイベントができるからいいじゃないか、という気持ちもあったが、一方で、自分がマネジメントする企画で過度な赤を出すのはイベンターとして二流以下だ、というプライドもあり、日々精神の疲労を感じた。間違いなく最高の1日を作り上げたので、結果は後からついてくるはず、という思いでなんとか堪えていた。直前には他要因のストレスも全部重なり、熱と強めの頭痛で仕事を二日休んだ。

そんな状況だったので、告知解禁直後に取り置きをしてくれた名古屋の友人、出演が決まった後に間違いなく最高の日になる、楽しみだと声をかけてくれた出演者のみんな、名古屋から車出してみんなで来てくれたサークルの仲間、そういった「人の気持ち」には励まされ続けた。告知もマメに行え、タイムテーブルの解禁、当日のノベルティの作成など、これまでの企画によっては予定していても作業時間が取れずに断念したようなことも、必死に食らいついてやってのけることができた。直前には、手を尽くした実感も得られ、ただ審判を待つのみの気持ちになれた。とはいえ家にいて落ち着けるような状況ではなかったので、猫を堕ろすの薫人、しじゅんと酒を飲んだ。かなり助けられている。

当日を迎えることができた。この日、僕はチケットにつけたフードチケットで交換してもらうためのカレー60食と、それを提供するための様々な器具を抱え、さながら疎開する人間のような出で立ちだった。このカレーは今回のイベントにおける、僕自身の成果物である。玉ねぎとよく煮込んだ牛肉と、自家製カレー粉で心血を注いで作り上げた自信作。カレーを出す行為=僕にとってのライブであり、カレーを出店することによって、僕は一出演者としてこのイベントに没入することができる。僕自身が当事者意識を失わないためにもこのカレーは非常に重要なファクターだった。カレーがなかったら、僕はバンドたちのライブのあまりの眩しさに、そこに並ぶ資格の有無を自身に問い、心が折れてしまっていたかもしれない。それくらい、主催者であると同時に当事者になりたかったイベントだった。結果、カレーの提供がかなり忙しくて、見に来てくれた人たちや出演者と十分に話ができなかったなとも思ったが、この達成感に後悔はない。

カレー、いろんな人から美味しいと言ってもらえてめちゃ嬉しかったです。

今回のイベントは撮影、SNSでのシェアOKのスタンスを取り、さらにはライブ映像の配信も行った(若干不手際ありごめんなさい)。ライブハウスでの撮影問題は色々な意見がある問題だが、僕もめちゃくちゃ楽しい時はその一瞬を切り取るためにスマホを構えてしまうし、それで切り取られた他人の一瞬を見るのもすごく好きなので、これはあらかじめOKだよと言っておく方が気兼ねなく行ってもらえるかなと思い、この形にした。これに際して、ハッシュタグも作ったのだが、おかげでとあるお客さんの素晴らしく僕の開催意図を汲んでくれた感想を拾うことができて、本当に良かった。

また、ライブの中継を行ったのは、生モノである以上どうしてもその場に居合わせられない場合もあるライブという出来事を、少しでも多くの人に見届けて欲しかったからで、これらはInternal Meetingの思想である、内輪=それを楽しむことのできる全員=みんなで楽しむ輪を広げよう、という理念を体現するために考えたやり方だった。とはいえ集客に響くと困るので直前までライブ中継の告知はしなかったのだけど(ちなみに、おかげさまでイベント自体はほぼほぼトントンで収支つけて、全出演者に多寡あれど出演費も渡すことができた。みんなのおかげです)。

ライブイベント自体はもう、本当に究極的に、「最高だった」の一言で片付けたくなるほどに、素晴らしい時間だった。またcllctv.でライブレポも出すと思うので、そこでいろいろ書くとは思うけど、もっと柔らかい文章でこの場では書いておく。 まずは、最初っから最後までShazam無しにはいられないという、DJとして僕の考える最良の仕事をしてくれたあまねくんには本当に感謝している。彼のおかげで、バンドとバンドの間の空白の時間にも、熱量を落とすような息継ぎがなく、没入感を強め続けるままにイベントを進めることができた。

一番手のheadacheでは、寛人がいつもよりたくさん叫んでたね。それを見て僕はとても嬉しくなってしまって、最初っからずっとはしゃぎっぱなしだった。手数でぶっ放すポストロックは、若干の曲芸要素もあって、ライブが好きな人はなんとなく笑顔になってしまう。そんな親しみやすさを上手くイベントへの導入にしたくて彼らには一番手をお願いした。僕の隣でプリマのだっつんさんやまあささんもめちゃくちゃ楽しそうにしてくれていたのが本当に嬉しかった。

続くグッドバイモカに関しては、池田が少し漏らしていた「今の状態が一番バランスがいい」という言葉に非常に納得できた。歌モノ・ポップスをひたすらやり続けてきたからこその表現力があの空間にはあって、池田がMCで話していたように相当付き合いが長い僕は他人の気がしない気持ちがあった。めちゃくちゃ対抗意識を燃やしてた昔の僕が今のグバモカを当時見ていたら、対抗意識なんて偉そうなものは抱けなかったのではないか。

Primacasata、カレーを仕込んでいる間に85のイントロが聞こえてきて、手伝いに来てくれていた同居人にカレーを任せて最前列まで走った。寛人と一緒にずっと声あげて両手突き上げてしてた気がする。今回6バンドもライブをする中で、一部のみ目当てがあって来てくれている人が一番間延びした時間に感じ始めるのが3番手だと思っていたので、だからこそここは一番爆発力のあるプリマにお願いしたかった。抜群の仕事をしてくれたと思う。完全にこの時間で会場の熱気が2段ぐらい上がった。全曲、全パート合唱させる力のあるバンドなんてそうそういないよ。Climb The Mindくらいしか他に思いつかない。

後半戦、ジャズマスターが鳴った後に。朝倉もMCで言ってくれていたけど、2014年に初めて自分のバンドで自主企画をして、そこに彼らを呼んだときのことを思い出した。あれは彼らの出発点だったと言ってくれていて、それはずっと僕の活動の自信の一つになっていたのだけど、その恩返し的な気持ちで、彼らの再結成のケツを叩けたのは良かったな。あれからもう5年以上経っていて、当然僕も彼らも年を取ったわけなんだけど、それでも音の波に合わせて叫んでいる時だけはあのときの若さに戻れたような気がする。あとは長田くんのベースがすごく良かった。グッジョブ。

誤解を恐れずにいうのならば、corner of kantoはものすごく人を選ぶバンドで、空気を外すとその本質的な良さが人に伝わらないバンドだと思っていた。だからこそ、確実に会場が暖まった後に見て欲しくて、この位置にした。大正解だったと思う。すでに僕はこの時点でビール4本くらい開けてたと思うので、かなり感情がガバガバだったものの、間違いなく僕のいる最前から後ろまで、彼らの妄執的な音楽の波に飲まれ、酩酊していた確信を持っている。ずっとライブ見たいって言ってた寛人も完全にキマってたね。あまりに僕らが笑顔だからか、演奏してる彼らにも何度か笑顔が覗いたのを見ながら、かなり大きな達成感を感じていた。このバンドを見るために名古屋から来ることを決めたやつがいるぐらい、それぐらい彼らは他になくて得難い音楽なのだと思うよ。

最後の猫を堕ろす。薫人はリハの時、「飲みすぎて弾けんくなるとダメだからあんま飲まない」って言ってたけど、完全に飲み過ぎだったな。最初、今回の企画に名前を寄せて作ってくれたInternal Greetingを流すのでみんなで聴きましょうって言い出した時点で、もう彼らのライブの成功は決まっていたようなものだったと思う。ライブなのに、演奏しない曲を流して聴きましょう、なんてちょっと想像できないくらい乱暴だと思うんだけど、それってめちゃくちゃ純粋に音楽が好きゆえの行動だなと思ったんだよね。だからあの時点で僕はもうかなり嬉しくなってた。 某ライブハウスで酒に酔って演奏してたことに文句言われてたけど、僕個人の意見としては、彼らはしっちゃかめっちゃかな時ほど生っぽさが増してめちゃくちゃ記憶に残るライブをしてくれるバンドだと思っている。当然この日も最高のライブだった。会場もあったまり切って、まるでクラブかと思ったよ。みんながめいめいの踊り方で踊っててさ。僕のやりたかった風景が完璧に出来上がってた。本当にありがとう。僕は踊るべき場所に踊るべき人がいないと困るので、アンコールでは、DJブースからあまねくんも引っ張って来て一緒に踊った。本当に全部があったな。

僕は何度か友人がやってたクラブイベントに行ったことがあって、そこで見た最前からケツまで完全に一体となった音楽への没入と発散に強い憧れを抱いていた。なんでライブって、みんなちょっとクールぶった見方するんだろうってずっと思ってた。僕はいつでも好きな音楽は全身で楽しんできたから。だから、クラブみたいに全身で楽しめるように、全部考え抜いて、1月18日という日を作った。その結果を知っているのは、こればかりは現地で体験してくれた人だけになっちゃうんだけど、あの日来てくれた35人の客さんと30人弱の演者、スタッフ。その全てがめいめいの踊り方を見つけてくれたイベントだと思ってる。大成功だよ。

終演後も人の熱気を保ったいい空気があったので、それに寄り添ってたら乾杯するまでもなく各々解散になっちゃったんだけど、でもそれでよかったかなーと思っている。 いつもは終わった後なんか寂しくなっちゃうんだけど、今回はあまりそういう気持ちにならなかった。やり切ったゆえの達成感もあるんだけど、「インターナルミーティング」という意図をもって打ち出したイベントに呼応してくれたバンドのみんなは、僕にとってもはや明確な共犯者であり、これからも繋がっていける人たちだと確信できたから。いつでも会えるので寂しくない、それくらい一体感を持てたかなと、手前味噌ながら。

カントーの矢部くんが言ってくれてたり、ジャズ後で朝倉が話してくれてたり、いまだにプリマはバンドのbioで僕のコメントを使ってくれていたりと、僕は今回出てくれたいろんなバンドに対して、何かしら正の影響をもたらすことに成功しているようで。これは確実に僕の歩んできた足跡であり、誇りだなと思う。そんな人たちをより多くの人に届けられたはずの今回、少しは恩返しになったのかなとも思う。

インターナルミーティング、どうだっただろう。これは僕の僕による僕のためのイベントだったけど、全員が当事者のイベントだよ。全員が当事者になれた確信がある。本当にみんなありがとう。コミューンの一歩目ができたと思う。この一歩目からどんどん歩んでいけるように、2020年は頑張っていこうと思う。そのうちもらえるだろう、志賀くんの写真のうち、何枚に爆はしゃぎしている僕が写り込んでいるか今から楽しみ。

本当に関わってくれた全ての人、ありがとう。最近ずっと漠然とつらい時間が多くて、それなりに楽しんでたはずの仕事もあんまり行きたくない日が多くて、正直かなり谷間だったんだけど、この日が素晴らしかったことを思い返せばしばらく頑張れると思う。もっと楽しいことしたいから、頑張る。