2019年の生活を振り返る(前編)

2019年は今後の社会人生活のあり方を占う年にしよう、そのために色々頑張ろう、と思っていた年でした。


学生の頃からやってたことを学生だからできてた、で終わらせないように色々もがいていた一年だったと思います。結果、それが奏功したこともありましたが、総括するとその思いに囚われすぎて結構しんどいことが多かった一年でした。
今まで音楽を作ったり、レビューをしたりしてたわけなんですが、仕事始めて気づいたのがそれらがかなりエネルギーを使うってことで、2018年は仕事も始めたばっかりだし、両立できないのも無理はねぇよーと思ってたんですよね。また、学生の頃のメンタリティをまだかなり引きずっていたのが2018年だったので、いよいよ今の生活に気持ちを合わせてきたときにこれらを続行することができるのかな、というのは結構僕にとって一つのチャレンジだったわけです。
結果としては、正直よくなかったです。2019年は数曲集めた音源を作るつもりだったのですが、これは1.5曲できたあたりで頓挫。レビューもなるべく書いていきたかったのですが、書けたレビューは10本以下。定期的なコラムとか特集記事を書くことでなんとか気持ちを保っていたという状況でした。
これは、自分のエネルギーを過信していた結果だと思います。そして、これらをきちんと遂行できる自分を社会に対するカウンターパートと位置付けて、なんとか社会と違うところに自分の居場所を立脚しようとしていた、という浅はかさの結果でもあるなと思います。
社会人になったから〇〇をやめた、という言葉を恐れるあまり、結果として社会と自分を切り離そうとしすぎたのだと思います。結局は全てが包含された生活でしかないのに。


あとは、やはり単純にプレイヤーとして音楽に触れる時間が圧倒的に減ったことで、自分が音楽をする側の人間でなくなった、という事実にめちゃくちゃグサグサやられていたというのもあります。これはレビューを書くときに如実に現れたもので、そもそも僕は自分も音楽をやっているから、他人の音楽を批評する権利がある、という思想を根底に持って音楽をレビューしていたのだなと気づかされました。
結果として、「何者でもない自分」が「作る側」の成果物をどうこういう権利ないじゃんという思想に陥り、何度も心が折れました。
なので、今年はこういったかつての自分に拘泥することをなるべくやめたいなと思います。今の自分を見つめて今の自分としてやりたいことをやっていけたらな、という思いです。

 

そういう意味で、「何者にもなろうとしない」のが2020年の目標です。

かなり書きましたが、これは序章です。

 

ここまで読むとかなりつらめに見える2019年ですが、こんな後ろ向きな考えだけでなく、たくさん僕に示唆を与えてくれた出来事がありました。思い出しながら書いていこうかなと思います。


2019年最初の大きな出来事は、同居人ができる、というものでした。
そもそも僕には学生時代から付き合っていた人がいるのですが、僕が東京に出たのに対して、この人は地元愛知で就職することを選び、ゆくゆくは東京に来るとはいっていたものの、それは2年後、3年後になると思う、という話でした。そんなわけで、僕は陽の光の入らない十畳一間の暮らしなき部屋に一人住んでいたのですが、1月だったかに突然、「仕事を辞めて転職することになったので、3月から世話になる」的な連絡をもらったわけです。まぁ、いつかが今になっただけの話なので「了解」とだけ返して、予告通り、3月中旬から十畳一間で二人が生活をはじめました。


こういう流れだとよくあるのが、一部屋だと喧嘩になる、的な話だと思うのですが、僕の同居人は非常によくできた人で、いつも穏やかに接してくれるし、僕の夜型の生活にも最大限配慮して暮らしてくれていました。(僕は寝るのが深夜2時とかなので、いつも耳栓とアイマスクをして寝てもらっていた。)そういう配慮に応えたい気持ちもあったし、そもそもなんでひとつ屋根の下で暮らしてる人間同士が喧嘩しなきゃいけないのかという思いもあったので、僕もなるべく負担を減らせるような生活を実行していたつもりです。そんなわけで、まぁまれには僕の言葉尻に悪さで少し空気を悪くしてしまうことなどもあったのですが、平和に暮らしていました。
とはいえですよ、やっぱり二人で一部屋は狭いわけです。いくら穏やかな人間二人暮らしてても、毎日肩ぶつかってりゃ疲れるわけです(比喩ですよ)。陽も差さないし。なので4月くらいから新居を探し始めました。何度か不動産屋に通って気長に部屋を探し、結果としてかなり満足のいく部屋を見つけられました。丸ノ内線某支線駅から徒歩5分程度、ベランダあり、窓たくさんあり、風呂トイレ別、廊下を挟んで十畳、六畳の1LDKです。家賃は月十万と少し。前の家が七万弱だったので二人で払うことを思えば一人で住んでた時と僕の払う家賃は変わらないぐらいです。ついでに旧居から徒歩十分程度という。完全にこの土地を気に入っていたので、周辺で探してたんです。

 

そんなわけで、6月は引越し関連でバタバタしていました。新居が引越し日より早めの契約開始だったので暇を見つけてはて運びで少しずつ荷物を運び、ギリギリまで値切った引越しに備えました。仕事終わりに荷物運んだりしてた時、なんとなく、学生時代夏合宿に行くときに大量の荷物を抱えてバスまで歩いたことを思い出した。結局、業者が前の引越しつながりで大きいトラックで来てくれて難なく全部積み込めました。これはラッキーです。
というわけで6月下旬に家具も届き、正式に新居での二人暮らしが始まったわけです。
ちなみにこの引越しでなけなしの貯金が空になり、かなり胃がキリキリしました。貯金は大事です。
順風かに見えましたが、僕には一つだけ懸念点がありました。この部屋にネットが通るのか…?ということです。この話は後編でしましょうか。


また、2019年前半は結構東京を出て飛び回っていた時期でもあったように思います。いやまぁ、ほぼ名古屋とボルネオしか行ってないですけど。
そうそう、年始はボルネオで過ごしてたんですよ。2018年の後半くらいから、ダンゴムシにハマり始めちゃって、どこか海外で探してみたいなーと思っていたところに大学時代からの友人が「東南アジアのそんな人いなさそうなリゾート地でゆっくりしたい」と言い出して、あ、これボルネオはマレーシア領、コタキナバルだな、コタキナバルを指しているなと。感じたので激推しして首を縦に振らせ、飛行機とったわけです。年末年始は高いのでケチってトランジット多いのにしたら1時間半とかで乗り換える羽目になって大変だった。金は払うものです。
で、何が悲しいか男二人、バックパッカー宿みたいなところを拠点にしながらですが、ふらふらとそれなりに楽しい旅行でした。なんやかんや彼も一緒にゴキブリやらヤスデやら探してくれてよかったです。僕が衆目を無視して虫を探しまくる写真がツイッターに流されまくった。すごい風評被害だ。
ちなみに僕は発起人役でツアーコーディネートのかなりの部分は彼がやってくれた。持つべきものは友というのはこれだな。ボルネオの詳しい話は、僕が編集長やってるzine、洗濯船の最新号に書きました。欲しい人いたらお渡ししますのでお声がけ下さい。

 

そして、年明け東京に戻り、翌週は自分のバンドでライブがあったので名古屋でした。東京でできた友達がたまたま名古屋来てて見に来てくれてくれしかったですね。僕がギターを投げるところ、見られてしまった。
あとは三月もサークルのOBとして追い出しライブに呼んでもらったので名古屋でした。

で、四月は自分のレビューサイトでのライブイベントが名古屋であったのでまた名古屋へ。この時のメンバーは僕とボルネオにもついてきてくれたカメラマンの友人、運転役で猫を堕ろすというバンドのコンポーザー、あともう一人東京でできた友人。僕が車に乗り慣れていなさすぎて、サイドブレーキ引いたまま高速に乗るという結構怖いやつをやった。イベントは大成功でとても楽しかったです。またやりたいですね。
六月には再びサークルの学祭ライブで、七月には猫を堕ろすのツアーの運転手として、似たようなメンツで名古屋に行くのだけど、この三回で確実に名古屋に車で行くちょうどよさを覚えてしまった気がする。
七月は猫を堕ろすのベースが、打ち上げ後車で寝てたら突然飛び起きて、常軌を逸した吐きっぷりを見せた後、新幹線で帰ると言い残し、夜の街へ消えて行ったのがかなりアツかった。命を削っている人間の生き様。
今年も名古屋に車で行くやつはやれたらいいなと思う。


あと今思い出したんですが、会社の部署のいろんな年代の人10人くらいで熱海の方に泊まりに行った、というのがありました。この時期マジで金がなくて、行くと言ったことを直前まで後悔していたのですが、いざ行ってみればかなり楽しかったいい思い出ですね。

AirBnBで一軒家を一晩借りて、それぞれ持ち込んだ酒と現地で買った食材をネタに一晩中飲む、という自堕落なやつだったんですが、これはかなりいい体験です。おすすめ。クソ酔っ払ってポーカー初心者の同期から巻き上げたこととか、コミュニケーション弱者の一面を晒して風呂に入るタイミングを逃した上、一人リビングで寝てたこととか、結構アチャーな感じですね。意外と若さがまだあるのかもしれない。翌日僕以外の全員は小田原にアスレチックをやりに行きました。僕は出し切ったので直帰して寝ました。やっぱ前言撤回。圧倒的に若さが足りない。

 

あー、ポーカーで思い出した。バーでポーカーをやらせてくれるところがあって、そこにも何度か行きました。平日なのに一晩中ポーカーやって朝出社みたいなやつ。もしかして若い?社長的な人がアホみたいにチップをかけていくのがスリリングでした。向こうのワンベットがこちらのオールみたいな格差で戦わなきゃいけないんでかなりピリピリしましたね。でもなんやかんやうまいことやって、チップ自体は勝ち越しましたが…。身内があんまり慣れてなかったのでそこから上手く寄せられたのはあったと思いますが。もうチップの保存期間終わっちゃったかなー、もったいない。これ完全に社会人になったからできる(お金の規模感)体験だった感はありますね。

 

こんな感じで前半は色々自分なりに遊んでいた感覚がありました。名古屋に車で行ったりしてて思ったのは、やっぱりこういう「友達で集まってどっか行く」みたいな遊び方は定期的にやっていかないと、気持ちが老けて行っちゃうなーってことですね。あとは結構大学時代の友人は良い関係性だなと思っているので、途切れさせずにつないでいけるといいなと思いました。

 

長くなったので後半に続けようかな。後半、「インターネット苦闘編」。